「あるとき、給湯器の故障で1週間ほどお風呂が使えなくなって。私たち家族は車で40分ほどの私の実家に通うことにしましたが、義母を連れていくわけにはいきません。
いい機会だと思って、夫に『お義兄さんに頼んで』と言いましたが、『僕からは言えない』と。これまで厚遇されてきたのだから、長男ならこんなときくらい親を助けてあげるべきでしょ」
煮え切らない夫の態度にモヤモヤしながら、義姉に申し入れたところ、あっさり「いいですよ」という返事。車で迎えにきて、夕飯とお風呂を提供してくれることになった。
「やれやれです。ところが、1日目に行ったきり、義母は2日目から『もうお風呂は入らなくていい』と言う。義姉も『あ、そうですか』で終わり。何か気まずいことがあったのか、遠慮しているのか。
義姉が迎えにさえきてくれたら義母も行く気になるのにと、私1人がやきもきしていました。義母も義兄夫婦も夫も、この家の人たちにはどうしても共感できないなとつくづく思い知らされました」
子どもたちが大学に進学して家を離れたのを機に、ユキさんは離婚することに決めた。たとえ長男夫婦偏重の家であっても、孫差別さえなければ離婚までは考えなかったかもしれない。
「婚家で過ごした20年以上の時間は、むなしくて、腹立たしくて、はっきり言って無駄な時間でしたね。今は離れられて幸せです」と語るユキさんだ。
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たかが「孫差別」というなかれ。その「差」が家族の軋轢に発展するのは、これまでの親子関係、きょうだい関係のひずみが積み重なっているからだ。そこには、世代を超えた家族の負の歴史が潜んでいるのだろう。