知らない誰かと互いに自分を映し合えるもの

  応募総数4574首! ちょうど万葉集と同じくらいの数が集まりましたね。私は短歌を作る側のプロですが、吉澤さんのようにプロとは違う目線で選んでくれる人の存在はすごく大事だと思います。吉澤さんは幼い頃から短歌にインスパイアをされて育ったそうですね。

吉澤 母の本棚にあった俵さんの歌集『サラダ記念日』を愛読していたんです。この歌集の最後にある「愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人」という歌が大好きで、私の「ゼリーの恋人」(アルバム『赤星青星』収録)はこの短歌をイメージして作りました。

中学生になって穂村弘さんのエッセイを読んだり、大学で短歌の創作授業を受けたりしながら、いろいろな歌人を知っていきました。音楽より短歌から受けた影響のほうが大きいのではとも感じていて、出会いの順番が違ったら歌人をめざしていたかもしれないです。

 吉澤さんの曲の歌詞を読んでいると、短歌めっちゃ詠めそうでした。詠んでる?

吉澤 今は短歌より曲を書かなきゃいけないので(笑)、短歌は人の作品を読むばかりですが、短歌も音楽も、作品を通して、知らない誰かと互いに自分を映し合えるものだと思っています。

マジックミラー越しに向き合っているみたいに、話すことはできないけれど、怒りや悲しみ、喜びを共有し、つながることができる。とりわけ短歌は、五七五七七という文字数の制限の中、言葉だけで光景や心情が映画のワンシーンのようにパッと浮かび上がるのが、とても魅力的だなと思うんです。

『うたわない女はいない』(著:働く三十六歌仙/中央公論新社)

 絵を描くには画材が、演奏するには楽器が必要ですが、短歌は言葉さえ持っていれば、誰だって詠めるんですよね。日本語を使って生活している人なら誰でも、創作のスタートラインに立てる。

吉澤 本当にそうですね。すごい作品がご紹介しきれないほど沢山ありました。また、それぞれの作品には作者の職業も添えられていたので、私が想像したこともない仕事への思いや世界を垣間見ることができ、これから作る曲にも大変刺激をうけました。

 それでは、お互いが最終選考まで残した短歌、個人賞、そして大賞と発表していきましょう。まずは、受賞は逃したけれど、素晴らしかった作品群をご紹介します。