名場面の一つは「堀川ガラス店」
――鮫島伝次郎の場面のほかに、これぞという名場面をいくつか挙げていただけないでしょうか。
私が「はだしのゲン」の名場面をあげると、10万文字は越えてしまうのですが・笑。最も好きなシークエンスは第一巻の「堀川ガラス店」の部分です。恐らく日中戦争で徴兵され、地雷で足を吹き飛ばされて片足になってしまった障がい者の堀川が、被爆直前の広島市内でガラス店を経営している。妻からは「片足だけで生きてかえってこられただけでもよろこばなくては……」とされるが、堀川ガラス店の経営は苦しく、日々の仕入れもままならず、借金はかさむばかり。そんな中、突然堀川ガラス店に近隣民家から大量の注文が舞い込む。一挙に活気づいた堀川は借金を返すことができ、つかのま経営のめどもついてひと安どしていた。
ところがこのガラス注文は、ゲンによる故意の、民家での連続ガラス破壊によってもたらされた「特需」だったのです。戦争で障がい者になり、日々の生活に苦しむ堀川の姿を見て、不憫(ふびん)に思ったゲンが悪役を買って出たのです。堀川は、民間人に「ガラス破壊魔」として捕縛されたゲンの姿を見て初めてその真実に気が付きます。当然、父母に引き渡されたゲンは親父からも大勘気で、屋上のベランダに縄のぐるぐる巻きの体罰にあう。ところがそこに堀川が現れ、事情を説明する。「おとうさん、ええお子さんをおもちですね」。父親はゲンの咎(とが)を赦しますが、その際堀川からゲンが欲しがっていた軍艦模型(長門型?)を渡される。堀川の息子は早世しており、軍艦模型は形見であったが、この恩の礼ということでゲンにわたったのです。ゲンは大喜びしましたが、結局この軍艦は「兄の矜持」でもって、弟の進次に譲渡されます。
これはたんなる創作美談ではありません。堀川ガラス店の被爆後の姿は描かれていませんが、皮肉なことに堀川が結果としてゲンの憐憫により調達した窓ガラスは、原爆の爆風によって無辜の広島市民に雨あられと突き刺さり、残酷にもその命を奪うことになる。そしておそらく、国のために尽くしたにもかかわらず顧みられることなく貧困生活を送っていた善人の堀川夫妻も、原爆で即死したのでしょう。そして堀川からゲンを通じて軍艦模型を渡された弟の進次は、この軍艦模型を抱いたまま原爆火災で生きたまま焼かれて死ぬのです。
このような後日を想像するに、このシーンは実に皮肉であり、善人も悪人も加害者も被害者もまるごと焼きつくして殺す原爆の惨たらしい無差別性が暗示されているのだと思います。