(イラスト:大野博美)

担任の先生は、毎日のクラスの様子を綴った連絡帳を和夫に持たせてくれました。私も家庭での様子を書いて次の日持たせるという、交換日記のようなやり取りが始まったのです。

「今日、算数はタイルを使って、5+1=6をしました。これを水道方式と言います」と、私向けにわかりやすく書いてくださいます。おかげで、家でも和夫とおさらいすることができました。

学校生活に慣れてくると、放課後、和夫のクラスメイトが遊びに来るように。1、2年のときは女の子が寄ってくれて、運動会で踊る「チェッチェッコリ」のテープをかけてみんなで踊ったものです。女子は「和ちゃん、和ちゃん」と上手に教えてくれて、まるで小さな先生のようでした。

高学年になると男子が多くなりました。私も和夫も虫取りは苦手と話すと、みんなで虫カゴがギュウギュウになるくらい捕まえてきてくれたことも。ほかにも、自転車に乗って交通公園に行ったり、天王山に登って写真を撮ったり。

参観日には「イキリのおばちゃぁん!」と声がかかるほどで、「イキリって何?」と思いましたが、こちらの方言で、強気で頑張っている人のことのようです。和夫が小学生の間、午後のわが家は学童保育のようににぎやかでした。

中学校も普通学級に入学した和夫。知らない間に縦笛が吹けるようになっていたので、「誰が教えたのかな?おばちゃんも吹けないのに」とクラスの女の子にお手紙を渡すと、和夫の連絡帳にその子からのお返事が挟んでありました。

「笛のドレミファ吹けるか、テストがあったんやで。三浦くんが昼休みにグラウンドの横でな、和夫に教えたんやで。だから和夫、音楽の時間に吹けて合格やったよ」とあり、驚いたことも。

連絡帳のやり取りは長年に及んだので、段ボール3箱分になりました。毎日書いてくださった先生方や支えてくれたお友だちには感謝しかありません。

後編につづく


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