両親の介護をきっかけに故郷・熊本へ移住
樋口さんは、パーキンソン病を発症後、生活の拠点を熊本に移した。しかし、それは病気療養のためではなかった。
故郷の熊本に移住したのは、親の介護のためだったんです。僕が帰るまでは、母が一人で父を見ていたんですよ。父は認知症を患っていて、母一人で看るのはもう限界かなと思って。姉も長野県に住んでいて、実家からは物理的に離れていましたし。家族に相談したらすぐに「いいよ」と言ってもらえたので、帰郷することにしました。
妻は知らない土地に行く不安よりも、「面白そうじゃない」という気持ちのほうが勝ったようです。僕の執筆の仕事は、どこでもできますしね。当時、上の子が小学校に入るタイミングで、下の子はまだ3〜4歳だったかな。父はもう僕のことを息子だとわからない時もあったけど、帰ったことを喜んでくれていたように感じます。今思うと、もっと早いタイミングで近くにいてあげられたらよかったなと悔やむ時があります。
今は二人とも他界していますけど、母と父の亡くなる寸前の様子は対照的でしたね。父の場合は、「絶対この体から離れていかんぞ」みたいな、生への執着を感じました。ICUに2週間いたんですけど、ずっと意識不明なのに自分の体にしがみついているような、魂が出ていくことに抵抗しているような雰囲気で、それが逆に父らしいと思いました。
母は、亡くなる直前に「人がいっぱいこっちを見よる」と言い出して。お迎えに来た人たちが見えていたんでしょうね。なので、僕は母に関しては死の瞬間に立ち会った気がしないんですよ。本当に、“移行する瞬間”を見ているようでした。まるで蛹から蝶が羽化するみたいに。
「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」の曲を歌っていたことで、僕自身の心構えができていたのもあるのかな。僕は、命はずっと続いていくものだと信じていて、そのことを伝えるためにあの曲を書いたようなものなんです。その曲を歌っていると、言葉がどんどん自分の中に入ってくる。その後に両親を看取ったので、悲しみよりも荘厳な気持ちのほうが強かったです。