走り出してわかった。あたしはサンディエゴの道のことなら熊本の道よりくわしかった。車しかないこの街で、20数年間、家族たちを車に乗せていろんなところに行った。
さいわい小中高校は近かったが、ピアノやクラリネットや犬の訓練は遠かった。少しだけ通わせた日本人学校も遠かった。空港も、アジア食品屋の並ぶ地域(日本食品屋もそこにある)も遠かった。よく走った。
自然のまんまのキャニヨン(谷)やラグーン(湿地)や、犬OKのビーチにも、毎日犬を車に乗せて連れて行った。よく走った。
夫とは長い間別行動を取ってたが、老い衰えていくにつれ干渉度が高くなり、最後の数年、夫は運転しなくなっていたから、仲のいい夫婦みたいにいつもいっしょで、あたしはMINIに彼を乗せて、あらゆる医者に連れて行った。診察にも手術にもリハビリにも連れて行った。ペインクリニックにも眼科にも腎臓専門医にも連れて行った。医療用マリファナのお店にも連れて行った。
マリファナは痛み止めだった。今は全面的に解禁されているが(カリフォルニアの話ですよ)、当時は医療用だけOKで、医者の処方箋を見せて買うのだった。合法なのにお店には看板がなく、ドアには鍵がかかり、ブザーを鳴らすと人が疑わしそうにドアを開け、あたしたちを入れるや鍵をかけた。中は薄暗くて、インテリアも大時代なヒッピー風、違法行為みたいでドキドキしたものだ。そこで買うマリファナはあのタバコみたいなやつじゃなく、舌下に落とす液体だった。
おっとつい脱線を。
とにかくほんとによく走った。
5年ぶりにカリフォルニアの道を走って驚いたのはテスラの多さだ。路上の車の1/3がテスラじゃないか(少々盛りました)と思えるほど多かった。長いことテスラ本社はカリフォルニアにあった。それでカリフォルニアの人たちはテスラを地場産業と思ってるようだ。これだけ売れればもうかるわけだ。Twitter(Xなんて言い直してやりませんよ)をやめちゃった今は、もうどうにでもなれと思ってるし、そもそもやめる前から、イーロン・マスクむかつくなあ、やめちゃおうかなあとも考えていたのだった。
おっとまた脱線を。
道のようすはずいぶん変わっていたけれども、基本的な位置関係は変わらない。カラダが覚えていると言いますか、走り出してフリーウェイに乗ったら、後は、目的地をめざして自然に走れた。
フリーウェイからフリーウェイに乗り換え、ここでアレをした。コレをした。助手席にはダレがいたカレがいた(たいてい夫だったけど)といろいろ思い出した。
走ってるうちにもっともっと思い出した。20数年間、これがあたしの生活だった。これがあたしの生き方だった。