ほとんどの仕事を失った私に声をかけてくれたのは

そんな忙しい最中に突然、ミヤコちゃんをがんで失うことになってしまった。私はツッコミをしてましたけど、実生活でのしっかり者はミヤコちゃんの方で、ミヤコちゃんに頼りきりだったんです。幼馴染、親友にして相方だったミヤコちゃんを失って、抜け殻同然になってしまった私に声をかけてくれたのは、またも大﨑さんでした。

「NYに俺の女友達がおるからしばらく行ってこい」と言ってくれたんです。私はその言葉に甘えて、単身でNYのその方の家に転がり込みました。考えたらすぐ転がり込んでますね、私。(笑)

NY入りして最初の日にセントラルパークでマドンナに会ったので、「これはツイてるな」と。でも実際は目的もないままNYに来ていたので、最初は何をするかもわからず途方に暮れていました。ミヤコちゃんを失ったショックで顔面神経痛を患い、顔が半分動かない私だったので、手始めに顔の体操教室に通うことにします。そこで、顔も筋肉でできてるんだという当たり前のことを学びました。

お金も仕事もない居候の身だったので、2人分の料理を毎日作り、食べ物の重要性に気づいていったのもNY。それまでは常に睡眠不足で不規則だった生活が、規則正しくなり、自分が作ったものを食べるようになり、体がみるみるうちに変わっていくことを実感したんです。顔面体操を始めた時も、記録をつけて、自分の変化を見つめることもこの頃から習慣になっていきました。

1年の充電期間を経て日本に帰国した後、これまた仕事がなかった私にラジオのオーディションを見つけてきてくれたのも大﨑さんでした。顔が麻痺しててもラジオならできるかな、と思って気楽に受けたら、そのラジオが23年、現在も続いています。ありがたいですね。

同時に私はミヤコさん以外の相方とお笑いをする、ということは全く考えられなかったので、一人美容を突き詰めていくことを吉本に宣言。吉本もベースに笑いが入っていれば、と応じてくれました。今でこそ美容キャラって吉本にはたくさんいるんですけど、当時はそんな人いなかったので、マネージャーも営業が大変だったと思います。

愛犬のヨークシャテリアのルチアちゃんと(写真提供◎シルクさん 以下すべて)

吉本入りに反対していた家族も10年後には応援に回ってくれていて、帰国してからの美容の道も応援してくれました。「むしろ(芸人より)あんたには合ってるんじゃない?」と母は言っていました。美容と健康に関して、自分はもちろん一番の実験台で、詳細に記録するのですが、親戚一同もみんな人体実験に参加してもらっています。

おかげさまで、同じマッサージでも10代はこれくらいで効果が出ても70代だとこれくらいかかるのか…など色々なことがわかりました。それまでシワだらけだった母が60代で顔のシワがなくなったんです。妹は、なんとさまざま外側の美容を施している私より美肌ときています。彼女は食べ物の選び方が私より厳しい。そこは大きいんだなと妹を見ていても感じました。