吉本入る時によく選んでくれたなって、感謝してます
当たり前のことなのですが、私は「食べたものが身体になる」ということをみんなにもっと知ってほしい。私もかつて37歳で相方のミヤコちゃん(コンビ名『非常階段』ミヤコ)をがんで亡くすまでは、美容にも健康にも無頓着な人間でした。
ミヤコちゃんとは小学校からの幼馴染。近所に住んでいましたから、いつも公園で一緒に遊んでいて、中学では同じ学区になり、クラスメートになりました。ミヤコちゃんは授業中、とっても集中して授業を聞く子。女の子たちが授業中に手紙を回したりしますよね。ミヤコちゃんに渡しても授業中は絶対読まない。真面目だけど、それでいて優しくて面白くて、誰からも愛される、みんなの人気者だった。みんながミヤコちゃんの親友の座を狙っているので、私も親友でいるのが大変だったんです。(笑)
ミヤコちゃんにならって自分も授業を聞くようになり、ミヤコちゃんに勉強を教わり始めたら、一気に成績が上がっていきました。大学では流石に進路が分かれるかと思いきや、相談したわけでもないのに同じ大学に進学することに。そこから二人で組んで学園祭でコントをしたり、お笑いの賞レースに参加するようになりました。85年の頃のお話です。
そんな折、何かのご縁で「大﨑いう奴がいるから会いに行け」って言われて、詳しい事情もわからないまま大﨑洋さん(前吉本興業ホールディングス会長、当時はマネージャー)と2人の怖いお兄ちゃんの前でコントをすることになりました。まあ、この2人がクスリともしない。後からそれがダウンタウンのお2人だったとわかりました。
そこからなぜか吉本に行くことが決まってしまい、まあ、親は悲しむやら怒るやら。なんせ学校で落ちこぼれると「お前アホやな、吉本しか行かれへんのちゃうか」って言われてる時代でした。私は英語教員の就職先も決まっていて、それを蹴っての吉本入り。自分が親ならあらゆる手を尽くして阻止したと思います(笑)。でも私は親の反対を押し切って、ミヤコちゃんのお家に転がり込み、芸人として生きることを決めました。