写真提供◎吉本興業
吉本の美容番長として知られるシルクさんは、年齢非公開。見た目年齢はアラフォーのまま、常に心身の健康を維持しています。そんなシルクさんも若い頃は「美容」に縁も興味もありませんでした。美容道に入るきっかけとなった“相方”ミヤコさんとの別れ、12年ぶりに東京で開催されることになった若さと健康の秘訣を伝授する「べっぴん塾」について伺います。(構成◎岡宗真由子)

吉本入る時によく選んでくれたなって、感謝してます

当たり前のことなのですが、私は「食べたものが身体になる」ということをみんなにもっと知ってほしい。私もかつて37歳で相方のミヤコちゃん(コンビ名『非常階段』ミヤコ)をがんで亡くすまでは、美容にも健康にも無頓着な人間でした。

ミヤコちゃんとは小学校からの幼馴染。近所に住んでいましたから、いつも公園で一緒に遊んでいて、中学では同じ学区になり、クラスメートになりました。ミヤコちゃんは授業中、とっても集中して授業を聞く子。女の子たちが授業中に手紙を回したりしますよね。ミヤコちゃんに渡しても授業中は絶対読まない。真面目だけど、それでいて優しくて面白くて、誰からも愛される、みんなの人気者だった。みんながミヤコちゃんの親友の座を狙っているので、私も親友でいるのが大変だったんです。(笑)

ミヤコちゃんにならって自分も授業を聞くようになり、ミヤコちゃんに勉強を教わり始めたら、一気に成績が上がっていきました。大学では流石に進路が分かれるかと思いきや、相談したわけでもないのに同じ大学に進学することに。そこから二人で組んで学園祭でコントをしたり、お笑いの賞レースに参加するようになりました。85年の頃のお話です。

そんな折、何かのご縁で「大﨑いう奴がいるから会いに行け」って言われて、詳しい事情もわからないまま大﨑洋さん(前吉本興業ホールディングス会長、当時はマネージャー)と2人の怖いお兄ちゃんの前でコントをすることになりました。まあ、この2人がクスリともしない。後からそれがダウンタウンのお2人だったとわかりました。

そこからなぜか吉本に行くことが決まってしまい、まあ、親は悲しむやら怒るやら。なんせ学校で落ちこぼれると「お前アホやな、吉本しか行かれへんのちゃうか」って言われてる時代でした。私は英語教員の就職先も決まっていて、それを蹴っての吉本入り。自分が親ならあらゆる手を尽くして阻止したと思います(笑)。でも私は親の反対を押し切って、ミヤコちゃんのお家に転がり込み、芸人として生きることを決めました。