アメリカへの忖度により、バブル退治が遅れた

日本銀行は公定歩合引き上げのタイミングを失ってしまいました。公定歩合を引き上げると、アメリカから資金が流出し、アメリカの株価がさらに下がると判断したからです。

このアメリカへの忖度により、バブル退治が遅れてしまいました。ドイツはアメリカに遠慮せず金利を引き上げたため、バブル発生を防ぐことができました。

『池上彰の日本現代史集中講義』(著:池上彰/祥伝社)

日本銀行が金利を引き上げたのは1989年5月のこと。それまで2.5%という超低金利が2年3カ月続きました。その間バブルは膨らみ続けました。

日銀は1989年5月からはわずか1年3カ月の間に5回にわたって金利を引き上げ、最終的に6%にまで引き上げました。

金利が上がって銀行からお金を借りにくくなったため、土地を買おうという動きは沈静化します。需要がなくなると地価が下がり始めます。すると損をした人たちが穴埋めのために株を売りに走りました。これによって株価が暴落。1991年3月から1993年10月にかけて景気が急速に後退し、バブルは崩壊しました。