総合病院から簀巻きにされて追い出された

兄は小学校、中学校、高校と成績は中の上で、友達が多く、母が先生に言われたのは「おとなしいので、もっと積極的になるように」くらいだった。背が高く、スタイルが良く、スポーツもできた。しかし、家では急に怒り出し、母と私に暴力を振るった。

両親はこの家庭内暴力は大人になったら治ると確信していた。父方にそういう人がいたからである。

兄は2年浪人して大学に入学した。その頃には家庭内暴力はなくなった。大学は休まず、アルバイトとして高校時代の友人たちと建設会社で働いたり、有名ロックバンドの地方公演の写真撮影をしたりしていた。

兄が変貌してきたのは、大学4年生の頃だった。家に連れてくる友人たちのタイプががらりと変わった。暗い感じのする人たちだった。

兄はその友人たちとKさんという教祖のような人のいるマンションに、たびたび通うようになった。なぜそれが分かったかと言うと、私がテレビで歌謡番組を見ていると、兄が「テレビ番組の多くは体制側だとKさんが話していた。この番組は見るな」と言うのである。私が仕方なくテレビを消すと、今度は「音楽というものの本質を言ってみろ」と、議論を吹きかけてくるのだ。やがて、兄がいる時に見られるテレビは、大相撲だけになってしまった。大相撲だけは、始まると兄の方から「やってるぞ」と声がかかるから不思議だった。

兄は、「会社員になり体制側になるのは嫌だ」と言い出した。父は社会に出て働くようにと兄に説教をしたが無駄だった。

兄は、Kさんのところに通う友人の一人が故郷に帰るというので、その人のアパートで暮らすようになった。しばらくして、アパートから自宅に通い、父の仕事を手伝うようになった。父は、母と兄とパートの人と商品を作り、都内の自分の会社に届けて販売をしていた。兄はパートの人には愛想が良かった。

そのうちに母に、「アパートの人が俺を殺す相談をしている」と言い出した。さらに「Kさんの父親はひどい人だ。Kさんを精神科病院に入れてしまった」と怒っていた。

ある日、総合病院から電話があった。兄が高熱を出し、腎臓が悪いので入院させる必要があるから、家族が来てくれというのである。アパートからその病院に1人で行ったのだ。

3日すると、看護師から自宅に電話があり、兄が看護師たちに因縁をつけ、患者たちが怖がっているとのことだった。母と私は駆けつけたが、兄は「入院患者の存在意義を看護師に確認したかった。病室という空間が理解できない」と、緊張した顔で話していた。母は「哲学者ではないのだから、気楽にしていなさいよ」となだめていた。

後日、兄は腎臓が良くなり退院できることになったが、「俺は存在する必要がある」と言い出し、退院を拒否した。そのため、兄は毛布で簀巻きにされ、上から紐で結わかれ、病院の職員5人が担ぎ上げて、父の運転する車に押し込まれた。兄は「何をするんですか!」とわめきちらしていた。

兄は自宅に戻ったが、急に立ち上がり、天井に向かって話しかけ、面白いこともないのに、「ハッ、ハッ、ハッ」と何度も笑うようになった。

母が保健所に相談に行き、保健師が自宅に来て兄と話をした。話のつじつまが合わず、保健師は、「だめだこりゃ」と言って帰ってしまい、それっきり来なくなった。
両親は兄のアパートに行き、荷物を整理してそこを引き払った。