精神科病院が兄の聖地に

兄は半年間入院して、自宅に戻った。兄は穏やかになり、よその人のようだった。入院させたことを恨む言葉はなかった。そして、父の仕事を手伝いだした。

兄は担当医師とケースワーカーを信頼していて、言われたことを母に報告していた。担当医師やケースワーカーが変わっても同じだった。しかし、兄は両親と私が病院に関わるのを嫌い、一人で通院した。兄は気分の変化が激しくて、季節の変わり目は病状が悪くなることがあった。それでも家族が付き添うのを嫌がった。兄は何種類もの薬を飲み、食卓の近くに薬を置いていたが、家族が触るのは厳禁だった。精神科病院が兄の聖地だと私は思った。

私は、兄に振り回されそうな時、神経症(不安障害、強迫性障害など)と鬱病の治療をしているクリニックに行き、家族は兄にどう対応したらよいかを相談した。禅の教えをもとにして「あるがまま」を受け入れる「森田療法」を実施しているところだった。医師は、「普通にしていなさい。お兄さんがおかしなことを言っても、それは病気なのだから怒ってはいけない。統合失調症の人は一種独特のものの考え方をするので、それをいちいち気にすることはない」とのことだった。

兄の書いたものを読んだことがあるが、「善美醜悪で人を判断してはならない。善美醜悪は芸術である。精神が満ち足りたのが宇宙である。宇宙は社会でなく心理である」など、考えが高度すぎて、私にはついていけなかった。

そして平成元年に、また父の借金が明らかになった。父の手が震え出して働けなくなったので、銀行が借金の催促をしてきたのである。自宅を売って借金を返済し、引っ越した。会社は廃業となった。父は難病と分かり、病院の神経内科に平成10年に亡くなるまでの2年間入院した。重篤な患者ばかりで、父と同室になった患者は何人も亡くなった。

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病室の方の遺族が荷物を取りに来た。すぐには帰らず、父の傍にいる母と私に、「家にいる時に優しくすればよかった」「もっと世話をすれば良かった」と、時には泣きながら後悔の念を訴えるのである。  

私はこの時、後悔したくないので、両親と兄の面倒を最後までみようと決めた。

父が亡くなってしばらくすると、兄は「家のことをする」と言い出し、夕食後の食器洗いと風呂の掃除をしだした。これは困ったことになった。3人分の食器を2時間以上かけて洗い、狭い風呂場を2時間以上かけて洗うのだ。水道代は跳ね上がった。母は「本人がやると言っているのだからやらせよう」と言い、他で節約をしていた。

後編に続く