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日本の統合失調症の患者数は80万人ともいわれ、人口の0.7%、100人に1人弱いると言われています。原因はよくわかっておらず、仕事や人間関係のストレスや、人生の大きな転機などでストレスや緊張が増したとき、発症するのではと考えられています。統合失調症を患う人を抱えた家族の苦悩とは…

前編 統合失調症の兄との40年。知人には「あなたは人生を無駄にした」「死んで良かったわね」と言われたが はこちら

統合失調症に認知症が加わった

統合失調症に加え認知症を発症した兄。平成24年頃に、兄の病状が変化してきた。兄は病院のすすめもあり、精神障害のある人たちを集めてリクリエーションや軽作業をする作業所に通っていた。ところが、「作業所の所長が精神科病院に来ていた。俺のことを医師に何か言いつけたのだ」と母に話し、以前は所長を「良い人だ」と言っていたのに、悪口を言うようになった。そして、作業所をたびたび休むようになったのである。

所長は兄の病状が悪いので相談しに来たのかもしれないし、兄の妄想かもしれない。兄は、病院はもちろん作業所にも、家族が連絡することを嫌っていたので、母も私も本当のことは確認ができなかった。近所の人たちが、「お兄さんが、お母さんを怒鳴りつけているのが、たびたび聞こえる」「お兄さんが2階からマットレスを投げ落とした。ものすごく汚いマットレスで、おもらしをしたようだ。お母さんが家に入れていた」などと、私に言ってきた。私は会社にいたので分からなかった。

この頃、母の認知症がひどくなりヘルパーを頼んだ。ある日、ケアマネジャーが訪ねて来た時、兄が母を怒鳴りつけているところに遭遇した。ケアマネジャーは私に、「お兄さんは、統合失調症に認知症が加わっているのかもしれない。私にはお母さんを守る義務がある。なんとかする」と言って帰った。

ケアマネジャーが地域包括支援センターに報告した。兄には別のケアマネジャーがつくことに決まった。兄はデイサービスに行くことになったが、昼夜逆転生活なので、兄を起こすためにヘルパーが来た。兄は2階で寝ていたが、ヘルパーは怒鳴られて苦戦していた。

兄は精神科病院に診察に行ったきり、帰って来なくなった。帰り道が分からなくなったのだ。私が警察に連絡し、兄は発見されるようになったのである。

兄はヘルパーとタクシーで病院に通院した。

地域包括支援センターの所長は私に、「あなたは働かなくてはならないし、認知症のお母さんを抱えている。お兄さんは入院させて、後見人をつければ良い。金銭の管理だけでなく、転院する時もやってもらえる」と言われた。私は驚いた。後見人とは大金持ちの人につくものだと思っていたのである。成年後見制度を全く知らなかった。

兄の担当医師、地域包括支援センターの所長、兄のケアマネジャーとヘルパーと私が精神科病院に集まり、兄の入院に向けた会議が開かれた。

医師は、「お兄さんが私を信頼しているうちに入院させたい。妹さんがいたら、お兄さんは何かあるのかと疑う。妹さんは何処かに隠れていなさい。私がお兄さんに入院をすすめて承諾したら、妹さんの携帯に電話する。入院棟で他の医師が診察した後、入院承諾のハンコを押して欲しい」と言った。

一人の医師の判断だけでは入院はできない。他の医師も診察して、入院が決定する。患者が同意して入院するのを「任意入院」、家族が同意するのが「医療保護入院」と言うのだとその時学んだ。

通院日、兄がヘルパーとタクシーで出発した後、私はタクシーを呼んだ。電車が故障や人身事故で遅れたりしたら、作戦が失敗すると思ったからだ。運よく知り合いのタクシーの運転手が来た。兄の入院作戦を話すと、運転手は、病院の中よりタクシーの中に潜んでいた方が見つからないと言った。私も同感でタクシーの中に潜んでいた。しかし、担当医師から電話があり、「入院を拒否された。お兄さんが疑うといけないから、1ヵ月後の通院日にまた隠れていてくれ」とのことだった。