これらの医療措置によって、以前は助からなかった命を長らえさせられるようになりました。しかし一方で、本人が望んでいなかった延命治療をされ、その結果意思疎通もできないまま生き続けるということも、残念ながら起きています。
たとえば胃ろう。胃ろうは1990年代に導入されました。当初は、栄養をつけて体力が戻ればいずれ外せる医療措置として始まったものです。胃ろうをすると、水や栄養がしっかり摂れるため、処置前よりもふっくらとし、肌ツヤも良くなる。
意識が回復することもまれにあり、「お母さん、前よりも元気みたいね」などと話しかけると、「うんうん」と反応し、手を握ってくれることもあります。
とはいえ、若くて体力のある人が嚥下の訓練をして胃ろうを外せたケースはあるものの、高齢者の場合は難しく、ほとんど再び自力で食べることはできないのが現状です。
しかも胃ろうを続けると、口から物を食べなくなるので飲み込む力がさらに弱まり、口内に溜まった唾液が肺に入ることで、誤嚥性肺炎を起こすことも。これは病院に行けば治療できますが、治るのはあくまで肺炎だけです。根本的な治療ではないので、繰り返し誤嚥を起こすようになります。
そうした姿を目にして、「これは本当にお母さんが望んでいたことなのか」という疑問が湧いてくることもあるでしょう。かといって、医師に胃ろうを提案された時に断るというのも、家族にとっては非常につらい決断です。断れば、山で遭難して水や食べ物が断たれるのと同じで、病院にいたとしても1週間後には確実に死に至ってしまうわけですから。
人工呼吸についても同様です。意識レベルが落ちているので、基本的には痛みを感じないとはいえ、口や鼻からチューブを挿入されたり、気管切開でチューブを交換したりする際には多少の苦痛が伴います。
また、「チューブだらけでかわいそう」と言って苦しむご家族の方もいらっしゃる。肺炎などで緊急入院した場合に、「万が一を考えて気管挿管をしますか」と主治医から提案される場面は多く、これもまた、本人にとっての重大な決断を家族が下さなければなりません。