しかしその後の18年に、再び骨折。色川さんはこの時も、「病院にも施設にも行かない。このまま自宅で過ごす」と言いました。幸い北杜市では、その数年前から急速に医療と介護のサービスが充実しつつあり、叶わない願いではなかったのです。

全国訪問看護事業協会の初代事務局長だった宮崎和加子さんが、医師の夫とともに移住してこられ、訪問看護介護事業所を立ち上げられました。色川さんは、その第1号の利用者です。

その事業所では、「定期巡回・随時対応型短時間訪問介護」というメニューがありました。1回の訪問時間は15分と短いですが、1日に3回入ってくださるので、暮らしのサポートには十分。

ただし北杜市は、冬は路面が凍結する地域で、大雪が降ると訪問ができない可能性があります。ケアマネジャーから「ヘルパーが入れないこともありえます」と脅かされ、ひとりで数日間は生きられるよう、手の届くところに食料や水を常備していました。

 

自分だけの時間も大切です

キーパーソンとしてケアマネジャーなどから「どうしましょう」と尋ねられた時、私の答えはいつも「ご本人にお聞きください」。介護方針については、本人の意思を最優先するのが私のスタンスです。これが、けっこう大変だったことも。(笑)

たとえば配食サービスを頼んだ時。短時間訪問介護では、お料理はしていただけません。だからいろいろ調べたうえで、有機野菜を使っているおいしそうなサービスを知人から紹介してもらいました。ところが1食目が届いた時、色川さんはなんと「こんなものが食えるか」。

戦時下では飢餓体験もしているし、ご飯と梅干があれば生きていける人です。ひとり暮らしを始めてからは、自分でご飯を炊き、インスタント味噌汁とコンビニのおかずで満足していたのに……。私が旨いものを食わせすぎたんです(笑)。私は食いしん坊で、こう見えて料理は得意。

仕方がないから冷蔵庫を大きいものに買い替えて、私が作りおきのお惣菜を用意することにしました。東京と山梨を行ったり来たりしていた私は、山梨に行くたびに何種類も作ってラベルを貼ったタッパーに入れ、備蓄しておくようにしたのです。