「後のことは心配せんでも僕が話をつけてやる」

夫もさすがに改心したようで、穏やかな日々が続いた。長女、次女が生まれ、5人家族になった私たち。ところが家のローン返済の目処が立った頃、再び夫の悪癖が始まった。残業という名のパチンコ通いが続いたある夜、こそこそ家の権利書を持ち出そうとする夫を見つけてしまう。またもやサラ金に借金をしたという。泣きながら往復ビンタした。

二度とギャンブルはしないと信じていたのに。私たちが「正しい家族」として生きていかなければ、次男は浮かばれないではないか。親としての責任は終わっていないから、離婚はまだしないけれど、同じ空気を吸いたくもない。出ていってくれ!

私の叫ぶ姿にたじろいだのか、夫はその晩姿を消した。ただ、数ヵ月もすると「出張してたんだ」と言って子どもたちに会いに来る。さらに、家のローンはオレの給料で払っているんだからと、借金を押し付けてきた。私は3つの仕事を掛け持ちして、代わりに借金を返す。シュレッダーにかけるようにお金が消えていく。

同じ頃、父が脳梗塞で倒れた。母は懸命に支えたが、父は入退院を繰り返し、最後には要介護5の寝たきり状態に。遺言のように「この家で死にたい」と言っていたため、施設に入れられるはずもない。

80歳の母は、もう自分だけでは無理と悲鳴を上げたため、同居を決意。当時、長男は東京で就職しており、次女も大阪の短大に進学していたため、すでに働いていた長女との二人暮らしだった。

そこで、ローンを払い終えた家は人に貸し、私と長女は、老犬とともに実家へ。介護と仕事の両立は大変だったが、介護保険制度の助けを借りて、父はなんとか希望通り、自宅のベッドの上で旅立った。