薬が承認されると、セックスを安易に考える人が増える、といった声も耳にしますが、正しい知識の普及と、薬の承認は関係ないでしょう。両輪でどちらもやればいいことです。まずは中絶薬を処方する場所が増えること、誰もが手術と薬のメリット、デメリットを説明され、本人が納得して選択できるようになることを望みます。

そして薬の最大のメリットは費用を抑えられることにあるのだし、保険適用を経て、最終的には無償化を目指してほしいですね。

イギリスでコロナ禍のロックダウン時に取られたのは、オンラインや電話で診察を受ければ、中絶薬による自宅での早期中絶を認める措置でした。その後、安全性に問題がないとされ、システムの継続が決まっています。性や生殖に関する健康や権利(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ)は、医療の進歩と不可分の関係にあり、常に最新の体制に更新していく必要があります。

でも、日本において中絶は長らくタブー視され、〈性の乱れ〉〈女性の不幸、傷〉といった文脈でばかり語られてきました。それでは議論は進まない。実際の困りごとは、経験のなかにあるわけですから。

中絶は恥ずべき行為ではありません。中絶で傷ついたという人は多いです。罪悪感を背負っている人もいます。ただ、私は、「あなたは後悔しているはずだ」と言われたら、むしろそのことに傷つく気がします。

読者のアンケートにも、「後悔はない」「私のことは私だけが守れる」という声がありましたね。これまで、中絶について遠慮なく誰かと語り合えた人ばかりではないはず。アンケートのいろいろな人の意見に目を通せば、自分と異なる考えを知る機会になるかもしれません。

一方で、出産を認めないのに、避妊をしない男性の多さも感じました。手術にしろ、薬にしろ、手を叩けば魔法のように胎児が消えるわけではないんです。本当は産みたいと思いながら、産めなかった人の精神的・肉体的苦痛は大きかったことと思います。

戦後の日本では、周産期医療の制度は人口政策の一環として語られてきました。性教育や避妊法を普及したり、避妊の選択肢を増やしたりするより、中絶で調整しようとする流れはいまも続いている。しかも、結婚前提のカップルや夫婦の場合、避妊しないのが愛や婚姻の証――そんな意識が更新されていないのも問題のひとつかもしれません。

タブーなき中絶、少子化対策、不妊治療、匿名出産制度の導入、貧困層や外国人への支援……。性や生殖に関する健康と権利の実現という共通の目標を掲げてきた他国では、これらの施策に相互の繫がりが生まれ、見習うべきケースが多々あります。

日本も、いまが変わるときです。まずは中絶を、女性と、その他の妊娠するからだを持つ人々の人権という視点で捉え直すことからはじめてほしい、と願っています。

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