理想の命の締めくくり

先日70代の友人がやはり同年齢の友人たちとご飯をしている最中に自分たちはあと何年生きられるか、という話題になったそうです。

がんで胃を摘出した男性曰く「俺あと5年かな」。やはりがんを患ったもののステージが低くて早めに処置ができた男いわく「俺は10年ってとこだな」。こんな塩梅でみな結構飄々と、大仰にではなく、自分たちの寿命の目測をつけていたと聞いて、頼もしいなと思いました。

脳の老化についても息子には、平和な感じでボケていくんだったらそのままにしておいていいから、と伝えてあります。日々悔いのない生き方を鼻息荒く全うしてきたおかげで、正直今どうにかなっても残念無念でも何でもありません。

いろいろやっかいなことを忘れていってしまうのは気楽で良さそうですし、残された人も意外にさっぱり諦めてくれます。私も母に対してそうでした。

生きることに全身全霊でまっしぐらだった母を知っていたので、どんどん記憶が失われ、表情から緊張感が解けていくのを見ていると、ああやっと気楽に過ごせるようになったんだな、と私も穏やかな気持ちになりました。

でも、それは母がそこまで本当に凄まじく生きてきたからこそ、感じられたことなのでしょう。怠惰に甘んじず、人としての命を出し惜しみなく懸命に生きてきた人の死は、残された人を前向きにする。それが私にとっての理想の命の締めくくり方と言えるかもしれません。

※本稿は、『CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

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CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』(著:ヤマザキマリ/エクスナレッジ)

幼少期から老人と触れ合い、親の介護、そして死を経験し、多種多様な「老いと死」に触れてきた真の国際人・ヤマザキマリが豊かな知見と考察をもとに語った、明るくて楽しい、前向きな人として生き方。