もう休みたいと思った
自分の家の異常さを誰かに知ってもらいたい。自分がされてきたことを誰にも知られたくない。その狭間で、私は連日削られていった。
「死にたい」は「生きたい」だと、いろんなところで誰かが言う。でも、この当時の私は明確に「死にたかった」。体の痣が増えない代わりに、心の痣と自ら抉った切り傷だけが増えていく。そんな日々に、一体なんの意味があるんだろう。生きることに意味を見出す必要はないのだと、ただ生きればいいのだと、そう思おうとしたこともある。でも、母は私の存在を「自分の付加価値」にしたがったし、父は自分の行いが娘の自傷行為に直結している事実から目を背けるのに必死だった。彼らと離れている期間に少しずつ取り戻しつつあった“本音”が、再び重厚な蓋で覆われていく。それは、「精神の死」を意味していた。私のままで生きられないのなら、私の命を尊ぶ人が誰ひとりとしていないのなら、もう休みたいと思った。休ませてほしい、と思った。
自宅で決行しても、また両親に都合のいい脚本が加えられる。どうせなら、誰かに少しでも気づいてほしい。全部は知られたくないけれど、少しでいいから何かに気づいてほしい。そう思い、数年前に通っていた母校の正門前で決行した。あたりは真っ暗で、月だけが光っていて、大好きな物語の表紙を思い出した。「ごめんなさい」と思った。「せっかく助けてくれたのに、ごめんなさい」と思った。私の願いはいつも中途半端で、すべてを知られる覚悟もなくて、臆病で、弱くて、両親に一矢報いることもできなくて、結局刃を向ける相手はいつだって自分で、こんな私の腕を見たら幼馴染は怒るだろうなと思った。
いつだって、“思う”ことばかりだ。思うだけで終わりにしてしまう。思うだけで諦めてしまう。いろんなことを考えて、ぐるぐると思考が巡る。そして、行き止まる。
「この家で生きるのは疲れた」
レシートの裏側に書きつけた短い遺書を握りしめ、行為に及んだ。流れゆく体液は、アスファルトの上に無音で模様を描いた。月の下で見るそれは、黒色であった。私の中に堆積する毒素も、すべて流れ出てしまえばいい。命と共に、あらゆる罪から解放されたい。罪人は私ではなく両親なはずなのに、私はなぜかそう願っていた。許されたい。誰に?何に?もう、わからなかった。薄れゆく意識の合間、思い出していたのは両親の顔でも兄弟の顔でもなく、幼馴染の顔だった。彼だけが、私の家族だった。