夫が望めば、すぐに緩和ケア病棟へ移動できることになっていましたが、彼は「治らないなら」と自宅に戻ることを選択しました。
治療を中止することは夫と一緒に聞きましたが、その後私だけが呼ばれ、主治医から「最末期で、余命は最大で1ヵ月」と告げられました。帰宅を選んでも、帰る車の中で死亡する危険性も覚悟してほしい、と。そのときの私は、彼の希望を叶えたい、ただそれだけでした。自宅看護・介護のハードルの高さも、私がしなくてはならない点滴交換や痰の吸引、しもの世話、痛み止めの選択なども、考えることすらできません。
病院の患者サポートセンターは、すぐに在宅看護のスタッフや介護保険、訪問医などを決めてくれました。知人から紹介されたケアマネジャーは非常に有能な方で、先に先にと手を打ってくださり、介護の準備も数日で整ったのです。私には奇跡に思えました。
2月28日に退院。すでに歩くことはできませんでしたが、彼は無理をして車椅子に座り、手配した民間救急車から食い入るように窓の外を見つめていました。自宅マンションには、訪問看護センター「楓の風」の看護師3人がスタンバイ。私はとにかく生きてこの部屋に戻ってきてくれたことが嬉しくて、彼の手を取って「よかったね、よかったね」と繰り返していました。
一息つくと、私には膨大な書類手続きが待っていました。マイナンバーカードを持っていようが、要介護認定を受けていようが、訪問診療、訪問看護、訪問介護、レンタル機材、ケアマネ、訪問薬局などの契約をひとつひとつ結び、印鑑を押し続ける。これをしなければこの先の生活が始まらないから、とケアマネジャーが付き添ってくれました。この励ましがありがたかった。
すべての手続きが終わり、最後の看護師が家を出たのは、夫の帰宅から3時間ほど経ったころでした。帰りがけ、夫に聞こえない場所で彼女は「1週間は持たないと思います。気持ちを強く持って覚悟してくださいね。何かあったらすぐに連絡すること。遠慮してはダメですよ」と言いました。ようやく帰ってこられたのに1週間も生きられないのか、と思うと悔しくて哀しくて胸が張り裂けそうです。でも夫には見せられません。耐えました。