(写真はイメージ/写真提供:photo AC)

覚悟が決まった夜の出来事

ようやく2人きりになった部屋で、夫はとにかくほっとした様子で「もう何も遠慮することはないね」と寛いでいます。「おしっこがしたい、尿瓶で取る」というので様子を窺っていたら「見てたらできないだろう?」と言われ、ああ、この人は羞恥心も自尊心も捨てていない、と嬉しくなりました。本当に死の間際まで、尿は自分で取っていました。

腸閉塞は治っていなかったので、便はほとんど出ないだろうと言われていましたが、2日目の夜「お腹が痛い」と言い出して、おむつを取り替えようとしたところ、大量の便が溢れ出ました。なすすべもなく狼狽える私に夫は、「介護の人を呼んで」と優しく言ってくれました。

泣きながら24時間対応の訪問介護に助けを求めると、真夜中なのに10分ほどで駆け付けてくれた女性介護士は「大丈夫、慣れればすぐにできるから」と言ってあっという間に処理し、やり方を丁寧に説明してくれました。思えばこの夜の出来事で、私の本当の覚悟が決まったのだと思います。

初日こそぐったりしていた夫ですが、2日目から生気を取り戻しました。まるで別人になったように顔色が良くなり、笑顔で過ごしました。幸いにも痛みはモルヒネの貼り薬と坐薬でコントロールできています。

介護ベッドをリビングの一番良い位置に置き、身体を少し上げると外が見渡せるようにしました。思えば秋口に入院し、クリスマスも年末年始も病院で、食事をとれないから季節感もまったくなく、気が付けば冬も終わり、早春間近です。寒がりなのに風を入れて香りを楽しみ、深呼吸をして寛いでいます。

うちは子どものいない2人暮らし。そのわりに広いマンションで、西日が眩しいほどの南西側のルーフテラスからは、年に数回、大パノラマのような夕焼けを見ることができます。ここで空を見上げ、星や満月を観察し、ビールを飲むのが2人の最高の楽しみでした。

彼がいた間に一度だけ、ご褒美のように素晴らしい夕焼けの日がありました。少し背を起こしたベッドに2人で座り、夕焼けが暗くなるまでずっと見ていました。私は泣けて泣けて仕方なかったのですが、彼は私の頭を撫でながら「泣かなくていいじゃん、こんなにきれいなのに」とニコニコしています。その時に撮った自撮りの2ショットが最後の写真となりました。

彼は窓から見える景色全部に感動していました。ここに住んで27年も経つというのに、こんなに広く気持ちのいい場所だったことに初めて気づいたようです。