「何もなければ失うものはない」

アメリカに到着した翌日から働き始めたカリコ氏。最初の1週間で逃げ出したいと思ったそうだ。

「(大学では)みんなドアの開閉は乱暴だし、大声でしゃべる。実験室はセゲドの研究室の方が、よっぽど設備が整っていた。ハンガリーの自宅には、洗濯機がありましたが、アメリカではコインランドリーに行くしかない。生活レベルは下がりましたね」

それでも熱心でひたむきな彼女は「ベンチのために」生きてきたという。ベンチとは、研究室の実験器具が並ぶ場所に置いてある椅子のこと。つまり、彼女の仕事場のことだ。

「研究室のベンチに腰掛けて、ああやって、こうやって、と試験管を振ったり、顕微鏡をのぞいたり、そんなことをしながら、ひとつひとつ実験を積み重ねていくだけでいいの。それが科学者というものだから、あとのことはどうでもいいわ」

「私のモットーは『何もなければ、失うものはない』ということ」(カリコ氏)

カリコ氏にとっての日常は、研究室で過ごす時間だ。

夫のベーラ・フランシアは、「君は仕事に行くんじゃない。楽しいことをしに行くんだよな」と日夜研究室に通い詰めるカリコ氏をそんな風にからかった。あるときは「君の労働時間を時給で換算したら、1時間1ドルだ。マクドナルドで働いた方がずっと時給が高いぞ」と笑いながら言ったりした。カリコ氏にとって、昔も今も、夫は一番の理解者であり、夫の全面的なバックアップがあったからこそ、今日のカリコ氏がある。

985年、アメリカに移住したばかりのころ。夫と娘と一緒に(『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』より)

「わが家では、夫がもっとも多くの犠牲を払ったことは言うまでもありません。朝5時に研究室に出かけていく私や、学校に通う娘のために、車で送り迎えをしてくれましたし、子育てに支障が出ないようにと、自分は夜間の肉体労働などの仕事をしながら家族を支えてくれました。週末でさえも、私がラボから壊れた試験機器を持ち帰って修理するのを手伝ってくれましたし、食事の支度ができないときには、彼が料理をしてくれました。でも、夫は一度たりとも文句を言ったことはなかったのです」