世界をリードしていた日本のビデオ

ビデオテープの価格が安くなったのは、87、88年頃のこと。

120分のVHSカセットが3本セットで1000円程度になり、その頃には、録画も気楽にできるようになった。

『1973年に生まれて: 団塊ジュニア世代の半世紀』(著:速水健朗/東京書籍)

「ベータマックスはなくなるの?」という新聞の全面広告をソニーが出稿したのは、1984年1月25日のことである。この頃に、VHSとベータマックスの規格競争に勝ち負けがはっきりしてきた、というよりも、そんな自虐の広告を打たなければならないほどにソニーが追い詰められているのだろうと、販売店が判断するきっかけになった。

2月9日号の『週刊文春』に、このソニーの自虐広告を取り上げた記事が載っている。「ソニー盛田会長がついに決断した仰天広告の吉凶」というタイトルで、同じ号には三浦和義のロス疑惑を報じる「疑惑の銃弾」の第3回目が掲載されている。規格競争で両陣営が切磋琢磨したことで、日本のビデオを巡る技術が急速に向上した。

当初20万円以上と高価だったデッキは、数年で半分を割る値段に下がり、80年代半ば以降に本格的な普及期を迎えた。家庭用ビデオの時代は、2000年頃まで続く。

1990年代、ロンドンのサッカーチームであるアーセナルのユニフォームにはJVC(日本ビクター)の名が刻まれ、マンチェスター・ユナイテッドには、SHARPのロゴが入っていた時代があった。イタリア・セリエAのユベントスは、SONYのロゴだった。

工業製品が強かった時代の中でも、記録用磁気テープの分野のシェアは圧倒的、特にビデオの分野では標準規格を日本がリードしていた。