パパから「しなさい」と言われたことには、すべて「はい、わかりました」。反論はいっさいしない。私が「たまには口答えしてもいいんだよ」と言っても、「大丈夫だよ、ママ」って。お手伝いも自然にしてくれる子どもでした。夜仕事をしているママは、大変だと思ったみたい。

玄関の掃除も、掃除機がけもしてくれる。宿題が終わると、「僕、何すればいい?」と必ず聞くんです。宿題は、いつもパパと一緒にやってたね。ママは、英語しか教えられないから。

息子と話す時は、基本はフィリピンのタガログ語。今もそうよ。自分のルーツを忘れてほしくない。フィリピンに行った時も、パパと親戚たちの通訳をするほど話せます。

子どもの頃からプレッシャーに強かったし、集中力もあったね。自分が決めたことは、絶対に守る。相撲クラブの稽古が終わった後、家で毎日400回、四股(しこ)を踏むと決めて、休まずやっていました。

 

プロに行きたいと言ってくれた時

中学時代に全国ベスト8入り。高校では、国体少年の部で3位となる。進学先の東洋大学では、個人タイトル15冠。4年次の年末に、学生横綱、アマチュア横綱の2大タイトルを達成したため、大相撲でアマチュア相撲の成績優秀者に与えられる優遇制度「幕下付出(つけだし)」により、幕下10枚目格からプロ入りできる資格を獲得した。しかし当初、プロになるつもりはなく、アマチュア相撲の強豪、和歌山県庁に内定していたという。

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中学生になると、かなり大きくなった。80キロか90キロくらいかな。身長も、どんどん伸びていって。ある日、自分でどんぶりを買ってきた。相撲部屋へ合宿に行った時に見て、お相撲さんはどんぶりでご飯を食べると思ったみたいです。今もそれ、使っているよ。「マイ茶碗」って。

小学生の頃からのトロフィーは、数えきれないほど。あちこちで試合があるので、パパと私は応援旅行によく行きました。沖縄、長崎、石川や新潟。2人とも、自分の旅行は全然しないの。ずっと応援ばっかり。

大学進学で東京に出すのは、すごく寂しかったです。ずっと一緒にいたのに、いきなりいなくなったから。だから、たくさん電話してしまった。出ないと「なんで?」と怒ったり。忙しいのはわかっているのにね。

最初は、大学を出たらアマチュアでやっていくつもりだった。和歌山県庁に内定した時は、私も和歌山まで行ったよ。「こちらに住むことになったら、ママもパパも和歌山に呼ぶよ」って言ってくれていたから。

でも、自分の子どもだからわかるの。迷っているって。「相撲はどうするの?」と聞いたら、「う~ん」と言う。公務員の試験に受かっても、うれしくないみたいだった。そうしたら、その後、電話がかかってきて、「ごめんね、ママ。やっぱり僕プロに行きたい。パパが反対しても、ママ応援してくれる?」。その時私、すごく涙が出た。あぁ、やっと本当のことを言ってくれた、プロに行きたかったんだなって。だから「もちろん応援するよ! パパとママが、あなたの人生決めるんじゃない。自分の人生だから、後悔しないように自分で選んで」。電話で話しながら、2人で泣きました。

まだ出羽海部屋から声をかけてもらう前。どこに入るかも決まっていなかったので、東洋大学(常務理事)の田淵(順一)さんや相撲部の濱野(文雄)監督、木曽相撲連盟会長の植原(延夫)さんなどの方々に大変心配をかけました。そんなある日、久司は出羽海親方と出会い、入門を決めたそうです。久司の将来を真剣に考えてくださった方々には、今でも感謝しきれません。