18年初春の取材で、佐藤さんはそう寂しげに語った。
定年から2年近く過ぎた今年の春、佐藤さんはかつて勤めていた会社の子会社に嘱託社員として再就職する。この7月、1年半ぶりに再会した際、心なしか表情が明るくなったように感じた。
そして、「今の会社を退職する時までに、再び家庭に居場所を取り戻したい。そのために料理をしたりして自分なりに努力しているんですが、かみさんがそれをどう思っているかはわかりません」と語った。
佐藤さんのように、仕事ひと筋で家庭を顧みてこなかった理由として、「妻子のためを思って、仕事を頑張ってきた」と主張する男性は非常に多い。しかし現実は、その苦労をねぎらってもらうどころか、居場所を失ってしまう。
問題はその思いを言葉で伝えてきたのかということ。家族は自分たちへの無関心と受け取ってしまうだろうが、知らぬは父ばかり……なのである。
出世していく妻に敗北感が募って
現在61歳と51歳の山田幸太郎さん、美津子さん夫妻には、15年前から取材に協力してもらってきた。
もとは2004年、当時36歳の美津子さんに、女性の仕事と家庭の両立をテーマにインタビューしたのが最初だった。大阪に本社のある専門商社に総合職として勤務し、33歳の時、仕事で知り合った10歳年上の男性と結婚。取材時は、長男出産後1年近く育児休業を取得し、職場復帰して半年過ぎた頃だった。
夫婦ともに地方出身で、近くに親、きょうだいはいない。子育てと仕事を両立するうえで重要な点を尋ねると、間髪容れずに夫の協力を挙げた。
「夫は私が子育てをしながら、仕事を続けて力を発揮していくことを応援してくれています。保育園の送り迎えを手伝ってくれたりして、とても助かっているんですよ」
両立の疲れを微塵も見せず、そう明るい表情で語ったことが取材ノートにも克明に記されている。今ほど企業の両立支援策が整備されていなかった時期に、珍しいケースだった。
その後、美津子さんの紹介で夫の幸太郎さんに同席してもらい、インタビューを重ねることになる。幸太郎さんは当時46歳で、部次長職に就いていた。重責を担い、仕事量も多いことが想像に易かったが、育児を担っていることについて、「子育ては楽しい。世の中のお父さんたちがどうして奥さん任せにしているのか、疑問ですね」と言ってのけた。「イクメン」という言葉が登場する何年も前のことである。育児に積極的に関わる男性の先駆けだったのだ。
ところがある時期を境に、事態は一変する。まず異変の兆しは、幸太郎さんが取材に応じてくれなくなったこと。リーマン・ショックの翌年、09年のことだった。