それから数年は、美津子さんだけに話を聞くことになるが、子どもが小学校に上がる少し前から夫婦の会話が少なくなり、幸太郎さんは育児に関わらなくなっていったという。
「子会社に出向したのが何らかのきっかけになっているんでしょうが、息子ともあまり口を利かなくなったのが全然、理解できません。お父さんとキャッチボールをしたりして遊んでもらいたいみたいなんですけれど、かわいそうで……」
58歳になった幸太郎さんへの取材が実現した16年。彼は出向先の会社に転籍していた。
「あの頃は部長になれず、左遷されたことが大きなショックでした。子育てを分担していて、仕事に集中できなかったのが影響したのではと考えてしまって……。それに妻が順調に出世しているのに、自分が情けなくて……」
一人息子は、まったく口を利いてくれないという。「息子との溝をなかなか埋められない」と背中を丸めて漏らす姿が、痛々しかった。
幸太郎さんは1年ほど前に定年を迎え、現在は継続雇用制度を利用して週に3回、同じ会社に勤務している。パート勤務を選んだのは、今春高校に進学した息子と、部長昇進間近という現在51歳の妻との関係を改善させたかったから。
だがつい先日、あらためて心境を問うと、「この10年あまり祝っていなかった結婚記念日や妻の誕生日に食事に誘ったら、『予定があるから』と断られ、息子の進路相談に乗ろうとすると『放っておいて』と拒絶され……。必死になればなるほど、妻と息子には避けられているようです」と、苦しい胸の内を明かした。
美津子さんにも取材をお願いしたのだが、現時点では応じてもらえなかった。ただメールで返事をくれた。承諾を得て一部を紹介する。
〈今さら良い父、夫になろうとされても、どう接していいのかわからないのです。ただ、彼が頑張っている姿を見て、夫婦の「定年」が終わりではなく、何かの始まりになればいいな、とは思い始めています〉