「いいことが増えたら、同じだけ嫌なことも増えるのがこの世の常。いいことのほうに目を向けるのが、幸せになる道です」

仏教の教えに救われる

両親の愛情を疑ったことはありません。それでも、同性愛者であることは受け入れがたいのでは、という恐怖がありました。実際、親にカミングアウトしたものの拒絶され、母国を離れて難民としてアメリカに来たという友人の姿を見ていたからです。

「今度、おつきあいしている人を紹介したいんだけど、実は男性なんだ」と両親に告白した時、全身が震えるくらい緊張しました。ところが母は、「小さい頃からこうちゃんを見ていて不思議だった点が納得できたわ」。父は「宏堂の好きにしたらいいよ」。父の反応はあまりにもあっさりしていたので、拍子抜けしたくらいです(笑)。伝えるのが怖かったと言ったら、母は「そんな理解がないと思われていたことがショック」と言いました。

さて、次は仏教です。ピアニストである母から、かつてこんな言葉を聞いたことがあります。「もしモーツァルトを嫌いだと言うのなら、モーツァルトの作品や作曲法などをよく理解したうえで、ここが嫌いだと具体的に自分の意見を言いなさい」。

私は、お寺に生まれたけれど、仏教のことをよく知りません。ただ理由もなく、先入観で毛嫌いしていたのです。でもせっかく学べる環境があるのだから、まずはしっかり仏教と向き合おうと思いました。

修行は京都のと東京の増上寺で、2年の間に約70日間かけて行われます。これがつらくてつらくて……。極寒の京都で素足で雑巾がけをしたり、長時間の読経で喉から血が出たり、正直心が折れかけました。

浄土宗の作法には男女で違いがありますし、「装飾品を身につけてはいけない」という教えもあります。男でも女でもある私は、どうしたらいいのだろう。それにメイクもアクセサリーも好きな私は、お坊さんになる資格がないのでは、と悩みました。

授業中は先生に一切質問をしてはいけない決まりがありますが、思い詰めた私は、禁を犯して指導員の先生に相談をすることに。すると修行最終日、その方に呼び出され、増上寺の応接室のようなところに案内されました。なんとそこにはかねて尊敬していた偉い僧侶の方が。

思い切ってセクシュアリティについて尋ねると、その方は「本当に大事なのは、すべての人が平等に救われるという教えを伝えることです。だから西村さんが自分らしくいて、多くの人を助けられるのであれば問題はありません。お釈迦様も法然上人も、西村さんを誇りに思い、喜んでいると思いますよ」と言ってくださったのです。

時代によって仏教は変化していく、ともおっしゃり、たとえば日本では僧侶は結婚していいし、お医者さんの僧侶もいます。アクセサリーやハイヒールについては、「白衣や時計と何が違いましょうか」とのことでした。