「夫と2人の時間も増えましたが、離れて暮らしている子どもたちは今も、美味しいご飯を求めて定期的に帰ってくる。結局にぎやかなわが家です」

料理や味の記憶が「食」の基礎に

と、こうして偉そうに話していますが、私は結婚するまでお米のとぎ方も知らないほど料理ができませんでした。モデルをしながら一人暮らしをしていた頃は、食事はほとんどお弁当か外食。疲れて帰った日は、ポテトチップスを夕食にするようなひどい食生活だったのです。

母から料理を教わったことはありません。シングルマザーとして私と妹のノエル、弟のローリー(ローランドさんの愛称)の3人を育てながら仕事をしていて、とにかく多忙でしたから。食事を作るのはだいたいお手伝いさんで、時々人が入れ替わると「お味噌汁の味が変わったな」と思った覚えがあります。

母が忙しかった頃は、近くに住む祖父母の家にもよく預けられました。母方の祖父は戦前に上海で新聞社を経営していた人で、引退後はワインやスパイスの専門書を手がけるほどのグルメ。江戸っ子でもあったので、かつお節を削り、海苔は必ず食べる前に炭火であぶっていました。

祖父に言われてお手伝いするのが嬉しかったですし、そうしてひと手間かけると素材の香りや美味しさがいっそう引き立つことも教わった気がします。

祖母も、そんな祖父のためにフランス料理のフルコースを用意できるほどの腕前。祖母の作ってくれたコロッケは、今も忘れることができません。そんな家に生まれた母ですから、食への好奇心が強く、大変な食いしん坊。味つけのセンスが抜群で、たまに作ってくれる料理は本当に美味しかった。

でもそれは、いわゆる普通の家庭料理ではなく、ブイヤベースやチーズフォンデュ、ポトフ、タコスなど外国暮らしで覚えた独特の料理ばかりでした。直接作り方は教わっていないものの、母が作る料理や味の記憶は残っていて、それが私の「食」の基礎になっているんじゃないでしょうか。