セコハン娘
「東京ブギウギ」の直前、1947(昭和22)年11月に笠置シヅ子がリリースした「セコハン娘」(作詞・結城雄二郎)は、ブルース・シンガーとしてのシヅ子の確かな歌唱が堪能できる。
哀調を帯びたイントロ。着物もドレスも、ハンドバッグもハイヒールも、なにもかも姉さんのお古ばかり。やっとみつけた愛しい恋人も、姉のお古。全くやりきれない。しかも彼女はお母さんの連れ子だから、大事なお父さんも2度目のお父さん。だから私は「セコハン娘」という内容。
マイナーコードのブルースのスタイルで、この切ないヒロインの状況が切々と謳われる。歌詞はナンセンスなノヴェルティ・ソングだが、セコハン=Second Hands(中古品)というフレーズが、世相を反映している。
敗戦後2年、あらゆる物資も不足していた。必要なものは全く手に入らない。運よく出物があっても、使い古したセコハンか、米軍の払い下げ品。
敗戦で日本は連合国の支配下に置かれており、平和と自由を謳歌しているが、それもマッカーサーから与えられたもの、という意識も強かった。
そうした庶民の感覚を、服部良一のブルースがカリカチュア。のちに作家として「昔々の宝塚歌劇」(77年・甲陽書房)などを上梓する結城雄二郎による詞は、明らかにパロディなのだが、服部のアレンジ、哀調を帯びたシヅ子のヴォーカルが、時代の「やるせなさ」を醸し出して、まさに悲歌=エレジーとして不思議な味わいがある。
3番がまた切ない。いつになったらお嫁に行けるのか、それともセコハン娘のまま終わるのか。もしも、結婚したとしても2度目の花嫁と人に指さされるだろう。なんとも自虐的である。そして曲全体のオチとして、ヒロインが胸を張って言えること。ただ一つだけ、セコハンではないものがある。それは「乙女の純潔」。神様だけがご存じなの、と。