(イラスト◎筆者 場面写真 (c)2024「かくしごと」製作委員会)
私たちはいくらでも嘘をつく
「嘘をつくのはいけないことだ」と、私たちは教わった。「嘘」は人を傷つけ、信用を失う行為。でも、「真実を口にする」ことでもっと人を傷つけることもある。実際、嘘をついたことのない人がいるだろうか。昆虫だって、身を守るために擬態する。生き物が外敵から身を守るその作法は、私たちを驚かすほどの知的で込み入った方法や色彩を帯びる。
私たちも日常で小さな嘘をつく。例えば「肌が衰えたわ」とため息をつく友人に、「ええ、本当におばさんになったわ」なんて、普通は言わない。恋人と抱き合う時に女性はしばしば、「感じている」振りをするのだろうし、親にもらった(あるいはサンタクロースから貰った)プレゼントで、子どもが喜ぶのはお約束。私はそれができない子どもで、親にはかわいがられなくなった。
愛を繋げるために、あるいは、関係を絶つために、私たちはいくらでも嘘をつく。たぶん。けれど社会生活の中で、「ついてはいけない嘘」は、もちろんある。
会計粉飾や偽証は勿論、この映画で起きるように、交通事故を起こしたときは、現場状況をそのまま、すぐに警察と連絡をとらなくてはいけない。小さな事故に見えても、その時の状況が正しく警察に記録されていなければ、保険の請求もできないし、責任の負担配分も決めることができない。
まして映画のように「人にぶつけて」しまい、ましてその相手が子どもであるのに警察も救急車も呼ばず、自宅に連れ帰るなんて、言語道断だ。
その事故は、認知症になった父親の介護のため、田舎町に帰った主人公の千紗子(杏)が、友人・久江の車で自宅まで送ってもらう帰り道に起きる。2人が昔話に興じていると、不注意からか、久江の車は何かにぶつかる。慌てて車を止めると、2人は少年が道に倒れているのを見つけた。事の重大さにおびえ、「黙っていて」と、千紗子にすがる久江。「私は公務員だから、事故を起こしたなんてばれたら大変なことになる」。