創刊以来、《女性の生き方研究》を積み重ねてきた『婦人公論』。この連載では、読者のみなさんへのアンケートを通して、今を生きる女性たちの本音にせまります。人生の最後をどうしたいかと考え、準備を進めていく「終活」。しかしその中身は一言で括れないほど多岐にわたります。みなさんの取り組みのほどを聞いてみました。
今回は本誌『婦人公論』の記事から「終活」への関心度の移り変わりを見ていきます。

その3よりつづく

90年代から関心事

「終活」という言葉が誕生したのは2009年。初出は、『週刊朝日』の「現代終活事情」と題した連載だそうです。

『婦人公論』誌上に初めて「終活」という言葉が登場したのは、13年8月22日号の記事「話題の『終活セミナー』でエンディングに備えよう」。終末期に不安を抱えるおひとりさまのライターが、さまざまな講座に潜入するルポでした。

「終活」という言葉では表現されないものの、以前から「自分の終末について積極的に考えていく」ことは、読者の大きな関心事だったようです。

 

『婦人公論』2011年9月7日号・特集「私らしい最期を迎えたい」(表紙:美輪明宏)
終活特集は2010年代から増えてきた。
<『婦人公論』2011年9月7日号・特集「私らしい最期を迎えたい」>

 

1997年6月号には「遺言ノートを書きましょう」という記事があります。前年に『遺言ノート』を上梓したノンフィクション作家・井上治代さんの寄稿。

井上さんは葬送をテーマにしたセミナーに講師として招かれて大層驚いたとか。5時間もの長大な講座に集まったのは約150名。某シティホテルの大広間に詰めかけた聴衆の熱意に講師もタジタジだったそうです。

『遺言ノート』は今で言う「エンディングノート」のこと。90年代に入ってからの葬送ブームで、散骨やジミ葬など葬儀は多様化したものの、実現するのは難しい。

そこで、井上さんは自分の死に方について書き記せる「遺言ノート」を作ることを提案。その考え方は多くの人に受け入れられました。

「終活」ブームに火がつく前に、すでに素地があったのですね。

 

『婦人公論』2015年11月10日号・特集「私の終活」(表紙:小泉今日子)
<『婦人公論』2015年11月10日号・特集「私の終活」>