何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。
取り戻した性虐待の記憶。そして、絶望
人間が「忘れる」能力を持って生まれてきたのは、おそらく必然だった。つらいこと、苦しいことを、傷を負った当時の生々しさのまま記憶していたら、とてもじゃないが生きていけない。だからこそ忘れていたのに、忘れていたかったのに、どうして還暦を過ぎてもなお、父は私を求めたのだろう。
実家に帰省した際、父が私の性的部位に手を伸ばした。17歳で家を飛び出して以来、父から性暴力を受けたのはこれがはじめてであった。居間にいるのは父と私だけ、しかし、隣室には母と息子がそれぞれ別室で眠っている。正気の沙汰ではない。最後まで、なんてあり得ない。ならば、黙って耐えればいい。動けない体と凍りついた脳内で、ぼんやりとそんな分析をしていた。息子のためなら威勢よく歯向かえたのに、自分のために噛みつくことはできない。私はいつも、自分の尊厳をあっさりと諦めてしまう。
いつからこれがはじまったんだっけ。
記憶はいつも断片的で、流れるようにつながることがない。動き回る父の指が、私の内臓をかき回す。こみ上げる吐き気を必死に飲み下し、時間が過ぎるのをひたすら待った。
結果的に、息子の夜泣きが私の窮地を救った。普段は疎ましい彼の夜泣きが、この日ばかりは救世主の雄叫びに聞こえた。息子の泣き声が私の金縛りを解き、父も状況を察して手を引いた。その時、父が己の罪に自覚的であることを知った。
この夜の出来事を警察に訴え出たとしても、おそらく父は罪に問われないだろう。逆に私は、「合意だったんじゃないか」と疑われる。なぜなら、「明確に拒絶していないから」。父に触れられたのを機に、体内にごうごうとあふれた記憶は、「逆らったら殺される」と告げていた。その感覚を言葉で理解してもらうのは、きっと難しいだろう。絶望、恐怖、諦め、虚無。それらしい言葉を並べても、私のあの日の心情にぴたりと重なるものはない。
生まれてこなければよかった。
暗闇の中、軋む床をぎいぎい鳴らして、ぐずる長男を揺らしながら、ただひたすらにそう思っていた。