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父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。
何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「防衛本能により欠如していた性虐待の記憶。蘇ったきっかけは、父の酒乱と再度繰り返された性暴力被害だった」はこちら

取り戻した性虐待の記憶。そして、絶望

人間が「忘れる」能力を持って生まれてきたのは、おそらく必然だった。つらいこと、苦しいことを、傷を負った当時の生々しさのまま記憶していたら、とてもじゃないが生きていけない。だからこそ忘れていたのに、忘れていたかったのに、どうして還暦を過ぎてもなお、父は私を求めたのだろう。

実家に帰省した際、父が私の性的部位に手を伸ばした。17歳で家を飛び出して以来、父から性暴力を受けたのはこれがはじめてであった。居間にいるのは父と私だけ、しかし、隣室には母と息子がそれぞれ別室で眠っている。正気の沙汰ではない。最後まで、なんてあり得ない。ならば、黙って耐えればいい。動けない体と凍りついた脳内で、ぼんやりとそんな分析をしていた。息子のためなら威勢よく歯向かえたのに、自分のために噛みつくことはできない。私はいつも、自分の尊厳をあっさりと諦めてしまう。

いつからこれがはじまったんだっけ。

記憶はいつも断片的で、流れるようにつながることがない。動き回る父の指が、私の内臓をかき回す。こみ上げる吐き気を必死に飲み下し、時間が過ぎるのをひたすら待った。

結果的に、息子の夜泣きが私の窮地を救った。普段は疎ましい彼の夜泣きが、この日ばかりは救世主の雄叫びに聞こえた。息子の泣き声が私の金縛りを解き、父も状況を察して手を引いた。その時、父が己の罪に自覚的であることを知った。

この夜の出来事を警察に訴え出たとしても、おそらく父は罪に問われないだろう。逆に私は、「合意だったんじゃないか」と疑われる。なぜなら、「明確に拒絶していないから」。父に触れられたのを機に、体内にごうごうとあふれた記憶は、「逆らったら殺される」と告げていた。その感覚を言葉で理解してもらうのは、きっと難しいだろう。絶望、恐怖、諦め、虚無。それらしい言葉を並べても、私のあの日の心情にぴたりと重なるものはない。

生まれてこなければよかった。

暗闇の中、軋む床をぎいぎい鳴らして、ぐずる長男を揺らしながら、ただひたすらにそう思っていた。