授乳中に感じた恐怖。交錯する過去と現在

記憶の欠片を取り戻す作業は、壁に塗られたペンキを剥がすのに似ている。傷の上に分厚く塗られたペンキは、ある日唐突にヒビ割れる。ぽろりと剥がれ落ちたペンキの奥に、まだ塞がっていない傷があらわれる。何年経っても、何十年経っても、塞がらない傷。思い出すだけで、呼吸を止めたくなる痛み。

ふいに眼前にあらわれた生傷を見ても、泣けないのはなんでだろう。いざという場面では一言も発せられないのに、悪夢を見ると金切り声で叫ぶのはなんでだろう。わからないことばっかりだ。わからないことが増えるたびに食いしばり続けた奥歯は、未だにひどく疼く。

悪夢ではぼやけていた顔が、記憶を取り戻したのを境にはっきりと父のそれにすり替わった。饐えたような酒と汗の臭い。歯磨きをしない父特有の口臭。何もかもがゾッとする。肌の内部を虫が這うように、記憶が私の全身を駆けめぐる。

お腹を空かせて次男が泣くたび、私は機械的に授乳をした。長男は幼稚園で、元夫は仕事が多忙でそこにはいない。広いリビングの隅っこで、一人呆けたように胸をはだけて息子に母乳を吸わせながら、きっとこういう時に人は過ちを犯すのだろうと思った。

授乳で使う胸は、性的部位でもある。必死にその一点に吸い付く次男の顔を、直視できなかった。その顔が父のそれに見えたら、私はきっと間違えてしまう。ふわふわの柔い体を抱く手が、怖くて震えた。どうしたらいいかわからなかった。わからないから、自分の腕を噛んだ。間違えないように、正気を保てるように、過去と今を取り違えて罪を犯さぬように、最愛の息子を傷つけないように。祈りを込めて噛んだ腕は、内出血を起こして赤紫色に腫れ上がった。私はいつも、正しい方法がわからない。

その時ふいに、心に舞い降りた一節があった。

“「大きな声で泣いたら、赤んぼうたちが驚くからさ」

「だいじょうぶだよ。ここなら神さましか聞いていないんだから」”

窪美澄さんの連作短編集『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)のラストシーンである。この一節を思い出した時、あぁ、私は泣きたいのだ、とはじめて気づいた。

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