「昔よりはマシ」と己に言い聞かせる日々
思い出してしまった出来事の大きさに比べて、私の動揺はささやかなものだったと思う。悪阻のせいでもともと食欲はなかったし、嘔吐も日常茶飯事だった。吐き戻す回数は増えたものの、それまでと変わらず長男を幼稚園に送り出し、体調が許す限りは公園にも連れ出した。家事をこなし、元夫の求めに応じて性交もした。私の悪阻は、彼にとって性欲を抑える理由にはなり得なかった。
私の体も、私の心も、私だけのものじゃない。ずっと、そういう感覚に縛られて生きていた。伸びてくる手を振り払ってもいいのだと、その手がどんなに私を求めても、私が嫌なら拒絶してもいいのだと、誰も教えてくれなかった。幼い頃、意味がわからずとも恐怖を感じた私が拒絶した時、父はある罰を与えた。その罰は、とても痛いものだった。だから私は、私を求める手に対し反射的に従ってしまう。そうしなければ、また“あれ”をされるから。
思い出すたびに恐怖で体が固まる。そんな自分に、「昔のことだ」と必死に言い聞かせた。今はもう、同じ家の中に父はいない。夫との関係は芳しくないが、それでもまだ、私は彼を愛している。だから大丈夫、昔よりはずっとマシ。念仏のようにそう唱えるうちに、心に霞がかかった。
私の体調よりも己の性欲を優先し、気分で暴言を吐く夫との生活が、「大丈夫」なわけがなかった。でも、そう思わなければ、昔に引き戻されそうで怖かった。
長男の支えのおかげもあり、その後、無事に次男が生まれた。産後の体調は長男の時よりも思わしくなかったが、次男本人はすこぶる元気で、連日リビングに響きわたる大声で泣きわめいた。赤んぼうの頃から、自己主張の強さは兄に引けを取らない次男であった。