(写真提供:Photo AC)
厚生労働省の発表によると、1999年から2022年までの間に、一般労働者の平均年齢が39.7歳から43.7歳に上がったそうです。このような状況のなか、流創株式会社代表取締役の前田康二郎さんは「仕事で『メンター』として慕われる人と『老害』として嫌われる人は紙一重」と語っています。そこで今回は、前田さんの著書『メンターになる人、老害になる人。』から一部引用、再編集してお届けします。

関係性ができていないから“怖い”と思われる

「強豪として知られる部活動の監督と選手」、「名店と言われるレストランのシェフと見習い社員」などの関係性は、一昔前は「とにかく監督やシェフが怖い」という構図の環境も多かったと思います。

そのため、受け手となる若者側は「いつ怒りのスイッチが入るかわからないから怖い」「何を考えているかわからないから怖い」、だから常に緊張を強いられる、そのような環境であったと思います。

これは今の時代では否定的な構図です。

では、なぜこのしきたりが長きに渡り続いてきたかといえば、いわば「師匠と弟子」との間に、あえて関係性を「作らない」ことで緊張感を発生させ、師匠が発信する一挙一動を見逃すことなく弟子に吸収してもらうため、常に師匠に気を向かせることに活用していたのだろうと思います。

この手法は、潜在能力は高くても経験値が浅いために起こりがちな「油断」「奢り」「過信」のもととなる「緊張感の緩み」を断つ、ということで確実に成長や結果を引出しやすくする効果を狙ったのでしょう。

しかしこれが過剰になると、ハラスメントも起こりやすくなりますし、この手法の「本質」をわかっていない人が悪用してしまうと、「体罰」や「暴君」につながっていく危険性が極めて高くなります。

また、指導する側とされる側の関係性を部分的に遮断してしまう分、その指導の本質的な目的(厳しい指導が最終目的ではなく、結果を出すことが最終目的ということ)は理解されづらくなりますので、受け手側には、直感的に「古い指導方法」「老害的な指導方法」と一括りに見られてしまうこともあります。

指導者側に「老練」な指導技量がないと難しい手法になってきているのではないかなと思います。