「何でも話し合える関係」で起こり得ること

今の時代は、このやり方とは反対に「師匠と弟子」の間にお互いに何でも話し合える関係性を作り、弟子側が自主性をもって成長しようとする時のメンター役として師匠がいるという環境を作る組織も増えてきています。

ただ、こちらのやり方も万能ではなく、自己管理能力が特に高い人を除いては、指導を受ける側の経験値の浅さからくる緊張感の緩みや集中力の途切れが起きやすくなっています。

『メンターになる人、老害になる人。』(著:前田康二郎/クロスメディア・パブリッシング)

「油断」「驕り」「過信」を引き起こして、潜在能力はありながら本番でミスや失敗をして結果が出ないということも起こります。

また、「絶対に負けない」「集中」といったメンタルの部分は、自分で鍛錬する以外に、他者の経験から学ぶことで得られるものも現実的には多いです。

そのため、この環境の場合は、弟子側になる人達が、自発的にメンターである師匠側の人達に経験談や教訓を学びに行かないと、いわゆる「怖い指導者」の下で育った人達と競り合った時に「先人の知恵」のインプットの量の差で、負けてしまうこともあると思います。

師匠側に立つ指導者の方がこのような構図を理解し、指導者と指導を受ける側が「ぎりぎり緊張感が保てる適度な関係性」を保ち、「基本はそれぞれが自主的に行動をしながらも、要所では指導者の指導にも耳を傾ける」育成環境を構築することが理想の一つの形ではあると思います。