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大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は『女たちの平安後期』を著書に持つ日本史学者の榎村寛之さんに「『望月の歌』のさらなる裏側」について解説いただきました。

「望月の歌」のさらなる裏側

クライマックスを迎えつつある大河ドラマ『光る君へ』。

ついにかの有名な藤原道長の歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」が出てきました。

この歌は藤原道長と源倫子の三女、威子が後一条天皇の中宮になった時の宴で詠まれたものです。

以前はもっぱら、「最高権力者となった道長が絶頂感を語った」と解釈されたこの歌ですが、ドラマの道長からは権力に酔う様子はあまり見られず、むしろほっとしたような雰囲気もあるなど、ずいぶんイメージと違うな、と感じた方も多いと思います。

前回のドラマ冒頭でも「一条朝の四納言」藤原斉信、藤原公任、藤原行成、源俊賢が揃い、道長が「望月の歌」に込めていたものとはいったいなんだったのか、その解釈について意見を交わす場面が描かれました。

そこで今回は、このドラマのもとになった道長の日記『御堂関白記』と藤原実資の『小右記』の前後の記事からの拾い読みで、この歌の裏側を探ってみたいと思います。