あかねとまひろ
平安時代の装束の美しさもドラマの評判を高めた(提供NHK)
『THE TALE OF GENJI AND KYOTO 日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(プレジデント社)の著者が、『光る君へ』の舞台である平安京の文化や、知られざる京都の魅力について綴ります。

前回「『光る君へ』皇太后となった彰子が藤壺を出て移った枇杷殿跡は京都御苑に。今の京都御所より240年以上も古い紫宸殿が、あの仁和寺にあったとは!」はこちら

「川辺の誓い」から変わった衣装の色

平安時代の装束の深遠なる世界については、この連載でも何度か紹介してきました。ほかの映画やドラマではなかなか見られない豪華で雅な衣装だから、今年の大河ドラマを楽しみにしている━━そんな方も少なくないのではないでしょうか。もちろん私もその1人です。

主人公、まひろ(紫式部)の衣装も、少女時代の素朴で愛らしいものから、だんだんと華やかに。藤式部と呼ばれるようになってからは、重厚で品格ある女房装束(いわゆる十二単)もすっかり板についてきました。

そして、終盤へと向かう最近のエピソードでは、さらに大きな変化が……。

病身の道長を宇治に訪ねたあと、いったん区切りをつけたはずの「源氏の物語」を、また書きはじめる。そのあたりを境に、唐衣(からぎぬ/正装のとき、いちばん上に着る袖幅の短い半身の衣)や小袿など、上にまとう衣が濃い紫色に変わったのです。

宇治に行く前は、もはやこの世に未練はないという様子のまひろでしたが、道長に「俺より先に死んではならん」と言われ、「ならば、道長さまも生きてくださいませ。道長さまが生きておられれば、私も生きられます」と答える(第42回「川辺の誓い」)。

2人の結びつきの強さや深さを感じさせる、そんなやりとりを通じて、道長もまひろも生きる力を取り戻し、まひろは再び物語に向き合ったのです。

光源氏が亡くなったあとを描く「宇治十帖」は筆致が変わるため、紫式部ではない別の人物が書いたのではないか、などといわれますが、その謎解きをするような巧みなストーリー展開にうなりました。

一度は「もう終えてもいい」と思った人生。だからこそ、再び筆を執ったときには別人のような書きぶりになった。そんなふうに考えられますし、それを象徴するのが、紫式部としての貫禄を感じさせる衣装への変化だったのではないでしょうか。

そして「宇治十帖」を書き終えたまひろは、紫の装束で旅に出ます。長尺の大河ドラマもいよいよクライマックスに近づいてきました。

女房装束姿のまひろ
紫色が目立つようになったまひろの女房装束姿(提供NHK)