写真:ヤマザキマリ
人気作『テルマエ・ロマエ』からもひしひしと感じられるヤマザキさんの〈お風呂愛〉は、いったいどこからきたものなのかーー。

入浴への渇望

『テルマエ・ロマエ』という作品が世に出てからもう随分経つが、未だに「日本の銭湯に古代ローマ人が現れるなんて、どうしたらあんな発想が生まれるのですか」と質問をされる。どうしたら。入浴を渇望し続けたからです、というのが一番ストレートな返答だろうか。

当時私は夫の仕事の都合で、エジプトとシリアを経て、ポルトガルのリスボンで暮らしていた。家でアイロンがけをしている時に、何の前触れもなく、日本の銭湯の湯船に突如古代ローマ人が現れる絵面(えづら)が頭に浮かんだ。試しに絵にしてみたら面白かったので、それを日本の友人たちにファックスで送信してゲラゲラ笑い合った。そのことが、その後の展開の発端となる。

当時の私は入浴を夢見る日々を過ごしていた。17歳で留学のために移住したイタリアに始まり、中東、そしてポルトガルに至るまで、暮らしてきたどの家にもシャワーはあっても浴槽はなかった。現在でも、欧州ではバスタブを撤去して合理的なシャワールームに作り替える傾向が強い。お湯は身体を洗うためのもので、浸かって寛ぐものとは捉えられていないのである。だから私は長い間、妄想の中でしか入浴がかなわなかった。

かつて欧州と地中海沿岸が古代ローマ帝国の統治下にあったころ、首都ローマには1000軒を超える公衆浴場があったとされるほど、ローマ人は入浴が大好きな人たちだった。ローマの軍隊が遠征した先でまずやることといえば、兵士の体力回復を目的とした浴場の建設だったという記録からもわかるように、入浴はまさに国を支える力そのものだったのである。だが今ではそうした2000年前の浴場の残骸が残っているだけで、土地の人々に当時の習慣は受け継がれていない。私はローマ遺跡で浴場の跡地を見るたび、ちっと舌打ちをするのが癖になってしまった。

暮らしていたシリアをはじめ中東には、欧州よりも保存状態の良いこうした古代の遺跡があちらこちらに残っているが、時々文化遺産レベルの建造物に洗濯物が干してあったりする。周りをうろうろしていると、中から古代人のような風情の遊牧民のオヤジが現れたこともあり、そんな時は思わず遥か過去の光景を目のあたりにしたような感覚に陥った。こうした経験の蓄積が、あの漫画のアイデアへとがっていったのだろうと思っている。

ちなみに今はイタリアの家にも日本の家にも浴槽は付いているので、1日3度はお湯に浸かっている。長湯ではない。毎回5分程度、疲労が集中力の邪魔になり始めたら、すぐに41度のお風呂に飛び込むのである。古代ローマでは政治家たちが大事な話し合いを浴場ですることもあったというが、脳や体をすっきりリセットしてくれるお湯のこうした優れた効果を理解しているのは、古今東西、古代ローマ人と日本人、そして長野県の地獄谷に生息するニホンザルくらいかもしれない。日本でも最近はシャワーだけで済ませる人が多いと聞くが、お湯に勝る心身の癒やしはこの世にないというのが、長い間お風呂での入浴を夢見てきた私の不変の信念である。


ヤマザキマリさんのエッセイ最新回は、
現在発売中の『婦人公論』4月23日号に掲載されています

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