「故郷に帰るのは、私にとって、イコール逃げること。当時、逃げるって、カッコ悪いと思っていたので、できなかったです」(撮影:初沢亜利)
今やミュージカルに欠かせない女優であり、風格をも感じさせるソニンさん。しかし、自身の納得できる道を見つけるまでは、紆余曲折があったという。高知からSPEEDに憧れて上京した少女が、ニューヨーク留学を経て大舞台の真ん中に立つまでの葛藤や努力とは──(構成=内山靖子 撮影=初沢亜利)

どんな過酷な仕事にも体当たりで頑張って

——数々の舞台に出演し、演劇界になくてはならぬ存在のソニンさんだが、アイドル歌手として16歳で芸能界デビューした当初は試練の連続。出された指示に従って、過酷な仕事に体当たりで挑む日々だった。


いまだにそうなんですけど、「有言実行」というのが私の人生のテーマのような気がします。15歳のときにSPEEDのライブを見て、同世代の彼女たちがステージを移動するだけで「キャーッ」っていう大歓声。同じ人類なのに、自分とは天地の差。

そのときに、私もこんなふうに「この人、すごい! 私も頑張ってみよう」って、みんなに夢と希望を与えられるような存在になりたいと、ライブを見たその日に、歌手になることを決めたんです。

そんな夢を抱いて、オーディションを受けて上京してきたので、「これ以上はムリ!」って降参してしまうまでは、仕事はなんでもやろうと決めました。陸上の経験なんてぜんぜんなかったのに、実家がある高知から韓国までの陸路570kmをマラソンしたり、6日間かけて1人で約5万5000個のドミノを並べたり。

でも、歌手になりたいという夢があり、この仕事をクリアできたらシングルを出してあげると言われたら、そりゃあやっぱりやりますよ。当時の私には何の武器もなかったので、とりあえず目の前の与えられた仕事を全力で頑張るしかなかったし。

無茶をする私を心配して、両親が「帰ってきてもいいよ」と言ってくれたこともありました。でも、故郷に帰るのは、私にとって、イコール逃げること。当時、逃げるって、カッコ悪いと思っていたので、できなかったです。だから、どんな理不尽な仕事でもとにかくやるしかなくて、私に「ノー」という選択肢はなかったんですよ。

思えば、子どもの頃から人一倍、負けず嫌いな性格だったような気がします。小学校のときの担任の先生が、勉強ができる子だけに優しいのにすごく腹が立ち、地名などの暗記が苦手で成績が悪かった社会科を必死に勉強! クラスで私一人だけテストで100点をとり、先生から褒めてもらって溜飲を下げたこともありました。「全力で頑張れば、自分にはなんでもできる!」ということを、幼い頃からわかっていたのかもしれません。