周囲の反対を押し切ってニューヨークに留学

——それだけ頑張ったにもかかわらず、デビュー当時のユニットはわずか2年で解散。事務所を移籍するなど、アイドル歌手時代のソニンさんにはスポットライトが当たらなかった。だが、20歳のときにドラマ『高校教師』で、ホストにのめり込む女子高生を体当たりで演じて女優デビュー。翌年、『松尾スズキ物語』の松尾スズキ役で初舞台を踏み、同年に舞台『8人の女たち』に出演して以来、目の前の扉が次々と開いていった。


『8人の女たち』に出演させていただいたことがきっかけで、初めて出演したミュージカルが『スウィーニー・トッド』です。その前に、大竹しのぶさん主演の舞台『奇跡の人』を観て、「なんて素晴らしい女優さんなんだろう」と大感激。その大竹さんと一緒に仕事ができるならと、それまでミュージカルなど観たこともなかったのに『スウィーニー・トッド』のオーディションを受けたんです。

それが、『血の婚礼』で森山未來くんの相手役に、そして『ミス・サイゴン』で主演のキム役につながって。そのひとつひとつに全力投球していくうちに、どんどん舞台にのめり込んでいきました。

でもその一方で、何かが違うともやもやしている自分もいたんです。今思えば、舞台で私が表現したいことと、自分の実力が見合っていなかったんですね。大劇場の一番後ろの客席まで届くよう思いきりエネルギーを発散しているのに、まだ出し足りない感じでもやもやして……。

当時は、自分が主役を演じることにもかなりのプレッシャーがありました。実力のある俳優さんたちに囲まれて私が主演で真ん中に立つなんて、本当に肩身が狭かった。

そんなとき、ちょっと息抜きしようと、仕事の合間に行ったニューヨークで、ここなら私の悩みを解消してくれる答えが見つかるかもしれないってピンと来たんです。

ニューヨークの人たちはみな自分に自信を持って、周囲の目なんて気にせずに胸を張って生きている。そんな街で暮らしたら、私自身のアイデンティティーも含めて、自分がマイノリティーだと思っていることや「生きづらい」と感じていることの理由も見つかるかもしれないなって。

でも、そう考えたのが、舞台の仕事のオファーが相次いでいた時期だったので、周囲からは大反対されました。だけど、たとえ仕事がなくなっても構わない。こんな苦しい思いを抱えたまま仕事をしているより、とりあえずニューヨークに行って、自分がやりたいようにやってみようと。

それで、仕事の合間に、観光ビザで何度もニューヨークを訪ね、現地で知人を訪ねたりツテを作りまくったりして。そのツテをたどってボイストレーニングの先生に根回しもして、いつ行っても大丈夫なように着々と準備をしました。

その上で文化庁新進芸術家海外研修制度にこっそり応募。この制度で留学すれば、誰が何と言おうと、1年間は絶対に帰って来られないんですよ(笑)。合格することができ、晴れて作戦成功で、29歳からの1年間、すべての仕事を休んで強行突破! 「この街で暮らしたい」とひらめいてから4年後に、ようやくニューヨークで演技の勉強ができることになりました。

1年間の留学期間を終えた後、さらに自費でもう半年間、ニューヨークで暮らしました。その1年半の間に納得のいく答えを得られたのかどうか、正直なところ、自分ではよくわかりません。

でも、帰国直後に『三文オペラ』の稽古に参加したとき、共演者の方々から「変わったね」って口々に言われ、お客様からも「ニューヨークに行って正解でしたね」というお手紙をたくさんいただきました。周囲の反対を振り切って行っただけの価値は十分にあったんじゃないかと思います。