イメージ(写真提供:Photo AC)
連載『相撲こそわが人生~スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります。

意識がないと思われた父親

「父親は背中でものを教える」と昭和の頃は良く聞いた。私の父は、まわりの人たちに仕事の景気が良いとか格好をつけた話ばかりして、実は愛人のために借金があるという嘘の多い人物だった。しかし、70代で重度の難病になり、自宅での寝たきりの生活や入院先での出来事で、家族、人間、介護、看護とは何かを、口に出さなくても私に教えてくれた。

私は、認知症の母と統合失調症の兄の世話を、会社に勤めながらよくできたと、友人たちに言われるが、父の病から得た体験が役立った。ひとりになった今も教訓として活きている。

父が2年間いた病院は、長い闘病生活のため、家族、親戚、友人、もちろん会社にも見放された孤独な患者が多かった。父がその病院で亡くなったのは平成10年の春なので、医療体制は今とずいぶん違っていた。家族がどれだけ病院に来て介護を出来るかと聞かれ、母と私は何でもやると言ったので、経管栄養の管の確認、痰の吸引、口腔洗浄、オムツの取り換えなどをしていた。母は介護のために毎日、病院に通い、私は日曜日に病院へ行った。

母は私に、同室の70代の患者である野上(仮名)さんの家族には困ったものだと言っていた。この病院は、野上さんと私の父と同じく、ベッドから自力では起きられない患者ばかりなので、看護師がすぐに安全を確認できるように、カーテンでの仕切りがなかった。

野上夫人は土曜日と日曜日に来て、反応のない夫の傍らにいた。土曜日の午前中は長男、午後は次男が面会に来て、それぞれ母親に、財産は自分に欲しいと、法定相続分を無視して主張。長男には子どもがおらず、孫は次男の息子ひとりだけで、海外に留学中。野上夫人は私の母に「主人は孫のタケル(仮名)だけが好きなのだ」と話していた。