※本稿は、瀬戸内寂聴・著『笑って生ききる』の一部を、再編集したものです
〈2からつづく〉
成長したいのに!成長したいのに!
25歳にもなって女一通りの生活体験を経ながら、ようやく16、7歳の文学少女の立っているような精神的地点に立ち、気がつくと私は色の恋のといっている沙汰ではなかった。
夫に衣類と配給票を押えられ、京都へ友人を頼って行きその下宿に転がりこんでしまった生活なので、私はとにかく「生きなければ」ならなかった。その時以来「生きなければならない」という最底線との闘いで、私の足元を歳月は目ざましい速さで流れてしまったのだ。
惨めな生活との闘いの空疎さに、気力も体力も萎えはてる時、私は「人の生肝をたべても成長したい」という平林たい子さんの小説のことばをお題目のようにとなえつづけて来た。けれども私の現実は、人の生肝をたべても露命をつながねばならぬ線から一向に向上せず、とても「成長したい」という高尚な願望までとどかない情けない有様であった。
京都から東京に舞いもどり、しゃにむにペン一本で子供雑誌の原稿を書きちらしてどうにか女一人の生活をささえられるようになったころ、私は自分が底のない虚無の淵にどっぷり腰までつかってしまっているのに気づいた。
「こんな生活とはちがう、こんなはずじゃない」私は自分のだらしない状態に悪態をあびせながら、酔っぱらって深夜の雪道に膝をつき、犬のように哭(な)きながら、私は成長したいのに!成長したいのに!と身をもんでいた。
Jと識り、彼にさそわれた時、私はまるで無貞操な女のようにすぐ彼と旅に出た。私はその旅で誘われれば心中してもいいような深い倦怠を、疲労をもてあましていたのだ。一、二回しか口をきいたこともないJについてその時私の識っているのは、彼が私以上に何者かに絶望しているということと、感覚的に合う人間だといういいかげんなおくそくだけだった。
金のない二人の旅はみじめで貧しいものだった。お酒をのみすぎた彼はその夜私を抱けなかった。私たちはそんなこととは別に、その一夜で二人がお互いに今、必要な人間どうしだということを感じあった。
私は彼を生かしたいと思い、彼を生かすことにもうどうでもいい私の生命をかけることで私も生きていいと思いはじめた。彼の方でも私を生かすことで、自分の絶望状態から目をそらしたいと思った。いいかえれば溺死しかけた者同士がお互いを藁でもと思ってしがみつき合ったのだとも云える。
私たちは死を選ばず、旅から帰って来た。何かしら自分の足に地をふみしめている力強さがみなぎってきた。