中野先生いわく「近しい相手への嫌みこそ、隠すくらいがちょうどいい」?(写真提供:Photo AC)
<本音が正義><論破が最上>との雰囲気が醸成されつつあるインターネット社会。一方、そういった状況だからこそ、相手を直接傷つけたり、関係性を破壊しないコミュニケーション方法を模索するべき、と提案してきたのが脳科学者・中野信子先生です。時代の流れもあって、先生の主張をまとめた『エレガントな毒の吐き方』が、刊行から2年を経た今も2万部増刷するなど好評を博しているそう。そこで今回、刊行時に同書の一部を引用した記事をあらためて配信いたします。

「本音を言い合う仲」は本当に最上か

日本の中でも地域によって沈黙や間合い、婉曲(えんきょく)な言い回しを大切にする度合いには差があります。

東京圏は、日本の人口の3分の1が集まる地域で首都圏ではあるのですが、日本の伝統的な言語コミュニケーションを代表する場所かというとそうは言い切れないところがあるかもしれません。

東京の前身であった江戸は、18世紀には日本各地から人が集まる世界最大の都市に成長していきました。

これは、複数の異なるコンテクスト(暗黙の了解事項)を持つ人たちが急速に流入してきた、流動性の高い社会だったということを意味します。

出自がさまざまで、文化的な背景も異なる人々が一つのところに集まるという観点からは、コミュニケーションのあり方としては文化の中心地であった上方(かみがた)の様式と比べてより直接的な、アメリカ型に近いものが選択されたことでしょう。

言わない、という選択がなかなかとりづらい社会的な構造があったと考えられます。

現代のインターネット社会でも、本音を言うのが正義といったような、論破するのが最上といった雰囲気が形成されてきました。

けれども、論破してしまったらその人との関係はそこで終わりになってしまうかもしれない。終わりになってしまったら、論破したそのときは気持ちよくとも、結構損をしてしまうことがあり得る。

そういったことを、私たちはもう1回見直して、論破する前にもうちょっと考えてみる必要があるのではないでしょうか。

はじめから論破する相手として見てしまうのではなく、その人から引き出せるもっといいものがあるかもしれない。そのコミュニケーション方法を学ぶ機会が、現代の私たちには乏しいように思えるのです。