岸田家の長女・奈美さん(右)と車椅子で全国を講演して回る母のひろ実さん(左)(撮影:霜越春樹)
中学生の時に父が急逝し、高校時代には母が病に倒れ車椅子生活に。4歳下の弟はダウン症で知的障害があり、祖母は認知症を発症――。次々に困難が降りかかる日常をエッセイに綴った岸田家の長女・奈美さんと、車椅子で全国を講演して回る母のひろ実さん。現在の「戦略的別居」に、いかにしてたどり着いたのでしょうか。(構成:野田敦子 撮影:霜越春樹)

このままでは家族の中で血が流れる

ひろ実 パパが心筋梗塞で突然亡くなったのは、奈美が中学2年、良太が小学4年の時。3年後、今度は私が大動脈解離で倒れ、命こそ助かったものの後遺症で下半身麻痺に。2年間のリハビリを終えて退院したある日、奈美の前で「母親としてできることが何もない。もう死にたい」と泣いてしまった。

奈美 そしたら私が「死にたいなら死んでもいいよ。ママがどんなにつらい思いをしてるか知ってるから」って。

ひろ実 「死なないで」と泣いてすがられると思ったら、真逆の反応で。一瞬、耳を疑ったけど、想像もしなかった「死んでもいい」という選択肢を与えられたことで、心がふっとゼロに戻ったのを覚えてる。もう一度、自分に何ができるか考えてみようと思えたんだよね。

奈美 私はあの日、「『母親』という存在は神様じゃないんだ」って初めて気づいたかも。いい意味で親像が壊れたというか。ママの涙を見るのはすごくつらかったけど、弱い部分を見せてくれたからこそ、一人の対等な人間として向き合えるようになったと思う。

ひろ実 奈美のひと言で目が覚めた私は心理学を学び、後に奈美が創業メンバーの一人であるベンチャー企業に就職。いつしか講演やコーチングで日本全国を飛び回るようになって。奈美も東京で一人暮らしを始めたよね。ところがコロナ下の2021年、またもや私が大病を患ってしまった。