『卍どもえ』辻原登・著

 

現実と虚構が入り交じる谷崎作品へのオマージュ

デザイン業界で確固たる地位を占める50代初めの男、瓜生甫(うりゅうはじめ)とその妻・ちづるは長らくセックスレスの関係にある。ちづるはネイルサロン「サッフォー」で知り合った塩出(しおで)可奈子と同性愛の関係となり、彼女の債務を返済する金を夫から引き出すため、一計を案じる。

語学学校などのビジネスを展開する中子脩(なかごおさむ)とその妻・毬子(まりこ)も、同様にセックスレスが続いている。瓜生が中子の新居の設計に関わった縁で両夫妻は出会い、甫と脩は互いに意気投合するが、ちづるも毬子を気に入り、可奈子と引き合わせる。やがて3人の女は純粋な情愛を育むようになっていく。

瓜生・中子両夫妻を軸とした物語は、谷崎潤一郎の『卍』を想起させつつコミカルでスリリングな展開をみせていくが、なにより本作を魅力的にしているのは、随所に盛り込まれた文学作品等への言及・引用である。

たとえば、ちづると可奈子の出会いの場面には吉屋信子『花物語』をはじめ、プロレタリア作家・宮本百合子とロシア文学者・湯浅芳子との「愛の生活」を描いた沢部ひとみによるノンフィクション、やまじえびねのマンガ『LOVE MY LIFE』など、女性同士の恋愛を描いた実作からの要素がちりばめられている。可奈子が瓜生に接近するため、偽名で参加する英文学の公開講座の場面は、世界文学に通じた作者自身が講じる文学談義にさえ思えるほどだ。

各登場人物が背負った複雑な個人史は、一方で日中戦争から中国国民党と共産党の内戦に至る東アジアの近現代史に接続し、他方では平成日本に起きたオウム真理教事件などの出来事と接する。虚実入り交じる多彩な材料から編み上げられた、豪勢な娯楽小説である。

『卍(まんじ)どもえ』
著◎辻原登
中央公論新社 1800円