朝ドラ『ばけばけ』のモデルとなった明治時代の作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれ、アイルランドで育ったハーンはどうしてアメリカで働いていたのでしょうか。その背景には、彼の悲しい生い立ちが関わっていました。『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』から一部を抜粋して紹介します。
晩年まで気にし続けた傷痕
ハーンの身長は五フィート三インチ(一五七・五センチ)、西洋人としては小柄の上、浅黒い肌をして、しかも片目が潰れていた。
現在残されているハーンの写真に、顔を真正面から捉えたものはなく、どれも横顔か下向きの顔である。
生涯、決して顔の左側を写させなかったのは、十六歳の時、校庭でジャイアント・ストライドという遊びの最中に飛んできたロープの結び目が当たって左目を失明し、醜い変形の痕があったからだった。
晩年に至るまでハーンは傷痕を気にし続けたという。残った右目も強度の近視で、若いころは眼鏡をかけていたが、酷使するうちに眼球がガラスにぶつかるほど突出してきたため、眼鏡も使用できなくなった。
そして来日の頃は、大きなびっくりしたような眼で人をじっと見つめ、時折伸縮式の望遠鏡と単眼鏡を持ち出すという具合だった。
ハーンは一八五〇年六月二十七日、当時英国の保護下にあったギリシャ・イオニア諸島に駐屯中の英国陸軍軍医、チャールズ・ブッシュ・ハーンと、地元の娘ローザ・カシマチとの間に誕生した。
二人は周囲の反対を押し切って結婚を強行し、子供をパトリック・ラフカディオと名付けた。
パトリックは父の出身地アイルランドの守護聖人の名にちなみ、ラフカディオは生地レフカス島(レフカダともいう)に由来する。いわば恋する二人が結ばれたことの象徴のような命名だった。だが、幸せは続かない。