※本稿は、『天才の考え方 藤井聡太とは何者か?』(加藤一二三・渡辺明/中央公論新社)の一部を、再編集したものです
14歳のプロデビュー戦とは思えなかった
私は藤井七段のデビュー戦の相手でもある。
62歳の年齢差がある対局ということでも、ずいぶん話題になったものだ。
そもそも藤井七段がデビューした際には、それによって最年少棋士記録が62年ぶりに更新されたということがニュースになった。それまでの記録保持者はいうまでもなく私だった。私は14歳7か月で四段になっていたのに対し、藤井七段は14歳2か月で四段になった。「記録を破られたのが悔しくはありませんか?」と質問されたこともあったが、「全然悔しくありません」と答えていた。強がりなどではない。どうしてかといえば、これは私のあずかり知らないところで彼自身がつくった記録だからだ。私がまったく関与していない記録なのだから悔しがる理由はない。
彼の登場によって、私の記録が62年間、破られていなかったとあらためて世間に知ってもらえたことは、むしろありがたかった。
その私がまだ現役であり、藤井七段と対局するということで、ニュースの価値がさらに大きくなっていたのが当時の状況だ。
歴史的なこの対局は、先手の私が矢倉で行こうとすると、藤井七段も追従してきたので相矢倉になった。
対局前に読売新聞の企画で対談をしていたが、そのとき彼は「正攻法を教わりたい」と言っていた。その言葉に偽りがないのがはっきりと感じられたものだ。
このとき序盤は私の攻めを藤井七段が受けていた。
その段階でも対局観がすばらしいのがわかった。
そのうえ、攻めに転じてからも隙がなかった。驚かされるようなスピードで私の玉を寄せきった。途中、私がミスをして勝機を逃す場面があったとはいえ、藤井七段の将棋は見事だった。とても14歳のプロデビュー戦とは思えなかった。
こうして藤井七段と対局できたことは本当によかったと思う。実際に対局してみてこそわかることがあるからだ。彼と対局することなく引退していたなら、その才能を肌で感じることはできなかったのだから、大きな心残りになっていたはずだ。