「先生、あたしが望んだからお腹の子は死んだのでしょうか。生まれてきてはならないと自分で命を絶ったのでしょうか」
三千恵は、泣いた。泣いて、眠り、また、泣いた。
ただ、心はともかく身体の方は徐々に恢復していると、おゑんは診立てていた。後は、過ぎていく日々を薬として、身体が力を蓄えるのを待てばいいと考えていたのだ。
それが……。
「すごい苦しみ様なんです。痛い、痛いって」
お丸の額に汗が幾つも浮かんでいた。頬も熱を帯びたように赤い。
痛みを訴えている?
廊下を走りながら、おゑんは唇を噛む。
子が流れてから、丸二日は経っている。腹の中、子袋の中の胞衣(えな)は掻き出し、綺麗に処置したはずだ。手落ちはない。
それとも、あったのか。あたしが気付かなかっただけで、とんでもない手落ちをしていたのか。
上っ張りに手を通しながら、足を速める。
悲鳴が聞こえた。獣の吠え声に似た猛々しい悲鳴だ。
「三千恵さん」
部屋の中は、ひどい有り様になっていた。
さほど多くはないが、行灯(あんどん)だの小さな文机だの屑籠だのの調度は各部屋に置いてある。それらが、あるものは横倒しになり、あるものは逆さまに転がっている。障子戸の紙は破れ、桟が折れているところもあった。一枚は横様に外れかけていた。
「痛い、痛い、助けてーっ」
三千恵が叫ぶ。
「三千恵さん、危ない。暴れないで。三千恵さん」
お春が三千恵を抱きかかえていた。必死の形相だ。
おゑんはその場に膝をつき、三千恵の肩を掴んだ。
「三千恵さん、三千恵さん、あたしがわかるかい。大丈夫、すぐに楽にしてあげるから。あたしの声が聞こえているね。三千恵さん」
汗でしとどに濡れた顔の中で、瞼が持ち上がる。
「お……おゑん先生……」
「そうだよ。もう大丈夫。大丈夫だからね。安心おし」
「……先生……助けて……」
三千恵の頭が前に倒れる。身体が微かに震えた。それから、咳き込み、呻く。
「ああっ、血が」
お春が引き攣(つ)った声を上げた。口を押さえた三千恵の指の間から、血が滴る。
「お丸さん、盥とお湯を。手拭いもいるよ。末音、痛み止めの薬を」
お丸が転がるように部屋を出ていった。末音は足音も立てず、下がる。
「お春さん、喉が詰まっていないか、確かめて」
おゑんは、三千恵の吐いた血を目で検める。黒みのある暗色だ。
労咳の患者が吐く血とは違う。そして、産み流しが因(もと)なら下血することはあっても、血を吐くことはまずない。だとしたら……。
「……先生」
三千恵が上っ張りの端を掴む。
「これは、罰……でしょうか」
「罰だって?」
脂汗を浮かべ、三千恵は喘いでいる。
「赤子を流そうと……したから、産んでやれなかったから……あの子が怨んで……」
三千恵の顔が歪む。腹を押さえ、呻く。
「三千恵さん、赤子は誰も怨まないし、憎まないよ。ただ、生きてほしいと願っているさ。おっかさんに自分の分まで生きてほしいってね。いいかい、よく、お聞き。あんたは生きなきゃならないんだよ」
三千恵に向かって、しゃべり続ける。
人の声が耳に届くことで、気を保たせる。吐くにしろ流すにしろ大量の血を失えば、人は生きていかれない。そして、一度、気を失い目を閉じれば、二度と開かなくなる。呼んでも、揺すっても駄目だ。そのまま、死に連れていかれる。
大半の者がそうなる。まして、三千恵は子を流した際、かなりの血を失っているのだ。
「いいかい、しっかりするんだよ。子に怨まれてるなんて、馬鹿なことを考えるんじゃない。母親がそんなこと考えて、どうするんだい。聞こえてるね、三千恵さん、三千恵、三千恵! あたしの言うことをお聞き」
「三千恵さん、三千恵さん、聞こえてますか」
お春も必死に呼びかける。
三千恵が咳き込み、また少し血を吐く。
「先生……苦しい……痛くて……」
「すぐ楽にしてあげるから。お春さん、口をすすいで」
「はい。三千恵さん、口の中、綺麗にしましょう。こちらの吸飲みの水で洗いますね。すぐに痛み止めのお薬、処方しますからね」
「おゑんさま、これを」
末音が陶器の吸飲みを渡してきた。薬湯が入っている。
これが飲めるだろうか。
三千恵は胃の腑か腸に病巣を抱えていたのだ。この血の量と痛みの強さから推し量れば、胃の腑か腸に穴が空いた恐れが高い。
どうすれば、いい……どうすれば。
「三千恵さん、お薬ですよ。飲んでください。ゆっくり……そう、ゆっくり飲んで。これで、楽になりますからね」
お春が繰り返し、話しかける。おゑんは三千恵の口元に吸飲みの口を持っていった。ゆっくりと、ゆっくりと傾ける。
三千恵の喉が僅かだが動いた。
「あっ、飲めましたね。よかった」
お春の言葉が終わらないうちに、三千恵が嘔吐した。指の間から、赤黒い血が筋となって落ち、床に散る。
「……先生、痛い……」
三千恵の身体が左に傾いだ。そのまま、横倒しになる。
「三千恵さん、三千恵さん」
お春が抱き起こし、名を呼んだけれど、三千恵はもう応じなかった。転げ回れるほどの力すら残っていないのか、お春の胸にもたれかかり、荒い息を繰り返すだけだ。口の周りは血で汚れているが、顔色は不気味なほど蒼白い。
「……痛い……せんせ……痛い……」
蒼白い頬に涙が伝う。
「おゑんさん」
お春の眼差しと口調が縋ってくる。
「もう一度、痛み止めを飲ませますか」
「いや……無駄だ」
「無駄? 無駄って、どういうことです。こんなに、痛がっているのに」
「飲ませても、すぐに吐いちまう。口からじゃ、受け付けないんだ」
けれど、薬を身体の内に入れるためには飲ませるしかないのだ。他の手立てはない。
胃の腑か腸か、もしかしたら別の臓腑か判じられないけれど、三千恵の身の内で尋常でないことが起こっている。何が起こっているのか確(しか)とは掴めないが、一刻も早く手を打たなければ命取りになる。それだけは明らかだ。
「痛い、先生……痛い、もう……堪忍して……」
血の臭いの中で、三千恵が呻く。
「末音」
「はい」
「越冬虫を持っておいで」
末音が息を詰めた。お春も目を見張り、動かなくなる。
「おゑんさま、あれは、まだ薬とも呼べませぬ。毒になる見込みが……」
「わかってる! 百も承知で言ってるんだよ。お春さん」
「は、はい」
「腹を開く。用意して」
「え……」
お春は目を見開いたまま、動かなくなる。
「おゑんさま、それは無茶です」
末音が首を左右に振った。
「これ以上、血を流せば三千恵さんの命が尽きますで」
「じゃ、他にどんな手立てがある。このまま、指をくわえて見ているだけじゃ、どうにもならないじゃないか」
三千恵が呻く。痛みを訴え続ける。顔色はさらに白くなり、蝋(ろう)を思わせた。
そう、無茶は百どころか千も万も承知している。けれど、今は無茶をするしかない。このままだと、三千恵は死ぬ。間違いなく死ぬ。腹を開き、病巣を見つけ出せれば万に一つの、助かる道が見えるかもしれない。命を拾えるかもしれない。
(この章、続く)












