会社にとっては単なる歯車のひとつ
この数年、私は調子に乗っていたのだと思う。そのことを自覚できただけでも、今回の“派遣切り”は良い経験だったと痛切に感じている。
今年3月末までの3年あまり、私は何かに取り憑かれたように働いていた。朝5時前から起きて仕事の調べ物をし、通勤電車の中でアイデアを固め、休みの日も翌週の準備をし、典型的なワーカホリックに陥っていたのだ。時給で働く派遣社員なのになぜそこまでやっていたのか。振り返ると本当に中毒だったとしか思えない。
会社からの評価は高く、金銭面での待遇もほかの派遣社員より断然良かった。4月から9月までの契約更新の手続きも終え、昇給も確定しており、長くこの会社と付き合っていくのだろうと、本気で信じていた。そんな矢先に派遣切りが起きたのだ。
3月中旬、同じ会社で働く派遣社員全10名に「3月末日で契約終了」を告げる一斉メールが届いた。一瞬動揺したものの、私の脳内では防衛機能が働いたようで、すぐに否認が始まった。「表向きは全員の契約を切ると言って、後で私にだけ継続の連絡が来るに違いない」と。
もちろん、そんな都合の良い話は存在しなかった。数日後、就業先からの電話で「深刻な不況のために契約終了」という揺らぐことのない事実に直面した。自分は単なる歯車のひとつにすぎなかったことを、この時にようやく理解したのだ。
就業先は旅行に関わる会社で、世界情勢や景気に左右されやすい業界ではある。日本各所を襲った大型台風、香港での長期にわたるデモ隊と警察の衝突、オーストラリアで起きた大規模な森林火災など、近年の数々の惨事が旅行の妨げとなり、業績は悪化していた。それでも、東京オリンピックというビッグチャンスで穴埋めができると大きく構えていたのかもしれない。
ところが、今年に入り新型コロナウイルスの流行が追い打ちをかけた。ヨーロッパやアメリカで感染が拡大するにつれ、外務省が渡航中止勧告を出す前からツアーは自粛ムードに。また、ダイヤモンド・プリンセス号でのクラスター発生をきっかけに、近年好調だったクルーズ旅行にも暗雲が垂れ込めた。
最後の砦である国内旅行へのシフトチェンジを図ったが、日本も感染者が増え、周知のとおり旅行どころではなくなった。会社は正社員のリストラも実施しており、相当な経営難に陥っていることは間違いない。
就業先から「数ヵ月かけて会社を立て直すから、是非また一緒に働きたい」と言われ、たとえ社交辞令だったとしても、その言葉には励まされた。
最初は機会が訪れれば復職できると考えていたが、4月に入り緊急事態宣言が発出され、新型コロナウイルスの収束に1年以上かかると予測する専門家も現れ、とても数ヵ月で旅行業界が活気づくとは考えられない。復職という選択は現実味に欠けている。日に日に自分が非力に思えてきた。虚無感に見舞われ、ふとした瞬間に涙を流していることもあった。