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看護師かつ、僧侶として、終末期の患者さんや家族のスピリチュアルケアを行う玉置妙憂さん。その中で、自分よりも周囲の人のことを気にしてしまう人が多いと言います。自身も、夫の看取りを経験した玉置さんだからこそ気づいたことは――

※本稿は、玉置妙憂『心のザワザワがなくなる 比べない習慣』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです

「人生会議」の現場で

終末期医療にかかわっていてよく感じるのは、どうやら私たち日本人というのは「役割を果たす」ことを大切にしているということです。正直にいえば、役割や立場に縛られすぎなのではないかな、とも思います。

そのことを実感するのが「アドバンス・ケア・プランニング」のときです。アドバンス・ケア・プランニングとは、患者さんとご家族が、医師や看護士、介護提供者などと一緒に今後のことについて話しあう「人生会議」です。

いまの病気の治療方針はもちろん、今後、患者さんの意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ終末期を含めた医療や介護について話しあったり、本人に代わって意思決定をする人を決めておいたりするプロセスのこと。

最期まで延命治療をするのか、しないのか。ホスピスに入るのか、入らないのかなど、これからの自分の命をどうしたいのかというご希望を聞くのです。

私も、スピリチュアルケアの専門家として会議に立ち会います。

その際、日本人以外は「自分がどうしたいと思うか」を考えて素直に口に出す人が多いように思います。私はスピリチュアルケアの本場、台湾にも頻繁に出向いて、医療現場に立ち会っていますが、彼らは「死までの限られた時間に自分がしたいこと」をしっかり周囲に伝えるのです。

でも、日本人の多くはそうではありません。

自分よりも周囲の人のことを気にしてしまう人が、実に多い。本音としては延命治療をして長く生きていたいけれど、自分が生きていると治療代もかかるし、まわりの人にも迷惑をかけてしまう。だから早仕舞いする。そんなふうに建前と本音が乖離して、本音より建前を優先するのです。